ネコの尻尾を追いかけて

大野くんと、まつわる諸々、ツイートまとめも

「untitled」ツアーパンフレットから見える彼と彼らの精神と「ソロ曲」についての抜粋

 

 今年のツアーは残念ながら私はお留守番となってしまったのだけど、パンフレットだけは友人の伝のご厚意により早々に入手完了。

今回に限らず、情報満載のツアーパンフレットは読めば読むほど、書店で手にするように簡単に気軽に多くのファンに行き渡らない現状をいつも残念に思う。


しかし、この「untitled」
そのパンフレット一冊の中に詰められた経緯や気持ちも、彼らは別に知られなければ知られないでもいいとさえ思っているのかもしれない。
それこそ、どう誤解されようとも、アルバムや後に発売される(と期待される)コンサート映像を、見聞きし感じたそのものだけ受け止めてくれれば良いと。

そんな事を、タイトルからも見えるアルバムコンセプトや入手困難な伝達手段から感じたりもした。


例えば、
大野くんがパンフレットで話しているこの言葉には、どこかで見覚えが…。

 

『「untitled」』っていうタイトルはね、意味を限定していないところがいいなって思った。“タイトルがない”ってことは、逆にいろんな事が試せたり、それだけ自由だったりするから。だから別に…ライブでも、アルバムでも、最終的な“正解”を見つける必要もないし。それを聴いた人、見た人が、感じたものでいいんじゃないかなって。

 


そう、つまり『「untitled」 』も大野くんの作品集&個展『FREE STYLE』の精神と同じなんですね。

 

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まぁ…でも、……楽に見てほしい、……うん

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いや…笑ってくれたらいいよ、やっぱ…
楽しく帰ってくれたら、いいぃ…、よね
(個展『FREE STYLE』メイキング映像より)

 

 

 皆さん、お久しぶりです!前回の個展('08年)から、なんと7年もかかっちゃいました…すみません(笑)。今回発表する作品は、この7年間で新たに作ってきた“今の自分”です。大野智としても、嵐としての自分も、やっぱり前回の時とは全然違うと思うし。あれから、いろんな出会いもあり、葛藤もあり…っていう、この“7年分の自分”が見えるものになってるんじゃないかと思う。

前回の個展を経て、おいらがどう変わったのか?それが、全てだと思うから。こういう風に見てほしいとか、こんな事を伝えたいとか…そういうものは、ありません(笑)。

この作品集も、見方は自由だし、何を感じるかも自由。何を思ってくれてもいい。気軽に見て、楽しんでもらえたら、それだけでうれしいです。
(作品集『FREE STYLEⅡ』前書き)

 

改めて読み直すと、この『FREE STYLEⅡ』、前書きから後書きから「メンバーへ」まで、全てが切ない…。

ただただ彼としては、純粋にキラキラした気持ちでしかなかっただろうに。
FREE STYLEは、ファンの子が見たがっているから、待ってくれているから、という彼らしい素直な気持ちからスタートし、お裾分けで見せてくれた、ありのままの彼いわくの『日記』だった。
わたしは、大人になっても消えない彼の自由で純朴なあどけなさが尊く大好きだ。
いつまでも雲の上で、(*´・∀・)<みんないい人、と笑いながらフワフワと浮世離れしていてくれたら、もうそれでいい。


少し逸れたけど、話は戻り、、、

今回のパンフレット個人ページでは、大野くんと似たような意味合いでやはり松本くんもアートの「無題」「untitled」を例に出しアルバム「untitled」を語っている。


だからパンフレットで語られている内容は、彼らが周知を徹底して望むならば他の媒体で話す機会だってあったはずなのに、それをしないのは、彼らの美学のようなものなのかもしれない。そう思ったのだ。
そして、『6人目の嵐』への信頼?

とは思うものの、彼らがそれで良くても、ファンという存在はやはり出来るだけ応援対象を理解したいと思うものだし、先の見えない暗闇が続けばつらくて、もがく事だってあるわけで。
好きな人が悪く誤解されれば、それもまた、どこのおたくだってたまらなくつらいわけで。

 

まだツアーも始まったばかりだし迷ったけれど、そのような状態でファンが混沌とし、ツアーが終了してもなお延々と誤解や誰かが不利益を被る憶測が蔓延し続けるようなことも良しとは思えず。

『ソロ曲』についてと、それに関連する『夜の影』について彼らが話している部分だけ、後ほどパンフレットから一部この場に抜粋して置かせてもらいたい。
パンフレットを手にする機会に恵まれない方の目にも触れてくれると良いなという思いも込め。

 


その前に。
前回のアルバム『Are You Happy? 』で、その斬新さからディレクター達を不安がらせた果て、見事美しいハーモニーを作り上げた大野くん監修曲『Miles away』

あれからカップリングを中心とする嵐曲の、主に歌割りに影響を感じる事が幾度かあったのは、気のせいか?とも思っていたものの、今回のアルバム「untitled」ではその感触は最たるものとなったし、同担他担問わず同様の意見は散見された。

そして、今回のユニット曲の組み合わせを決めたのは制作陣とのこと。

松本くんいわく、『全組み合わせをやるわけにはいかないから、制作側からユニット案を提案してもらって。今回の組み合わせは、自分たちが「この人とやりたい」っていうよりも、制作陣が聴きたかった、見たかった人選だったってことですね(笑)』

二宮くんいわく、『ウチは5人だから、その組み分けも「もしどうしてもソロをやりたい人がいたら、ソロ、2人曲、2人曲(の合計3曲)でいくのか?」とか、「2人の組み合わせ×5曲がいいのか?」とか、もちろん考えたし。そんな中で、制作陣が“2人ユニットで2曲、3人ユニットで2曲”っていう形を選んでくれたんだよね。』

 

結局そこもMiles awayに影響された挑戦が続いているのでは?と私には思える。

嵐曲は、基本的に昔からソロパートの多さだけに留まらずユニゾンでも大野くんの歌声が目立つよう調整される事が多かったと思うし、それはつまり、大野くんを投入するとどの組み合わせでもハーモニーの結果が容易く想像できてしまうということ。
従来と違う新しい挑戦がしたいなら、確かにユニット、中でも限られたコンビ曲があの組み合わせになるのも分かる気がした。当然、寂しいけど…(* ;∀;)

 

参考までに、嵐の過去のツアー限定ユニット曲はこんな感じ。

 

【2001-2002年冬「JOIN THE STORM」ツアー】
「Get yourself arrested」(櫻井・松本)※カバー曲
「不良」(大野・相葉・二宮)※カバー曲

 

【2002-2003年冬「新嵐」ツアー】
「幸福論」(松本、相葉)※カバー曲
「I'll Make Love to You」(櫻井、相葉)
「大宮SKソング」(大野、二宮)
「Touch the Breath」(大野、松本)
「L.G.G.P.N」(櫻井、二宮)

 

【2003-2004年冬「LIVE IS HARD だからHAPPY」ツアー】
「もういない...ない」(二宮、松本)
「街が色づく頃」(大野、相葉)
※このツアーで櫻井くんはソロ

 

 要するに、「untitled」というアルバムは、Miles awayから大野くんが先導、そして扇動して来た新しい嵐音楽の形なのではないか、と。
もしかしたら、嵐で出すのに自分の声ばかり出過ぎているのは変だし皆で歌った方がいいから、と自らソロパートを減らしてもらったtruthから既に始まっていたのかもしれない。

だから今回のアルバムの諸々、私には大野くん本人の意思がひしひしと感じられる次第なのです。
その是非や好みはさて置き。

 


※以下、「untitled」パンフレット抜粋紹介。ネタバレご注意。

 

 

 

大野:
今回、ソロがなくて、久しぶりにユニット曲をやってるんだけど。それも、ちょっと新鮮に感じてもらえるかなと思うし、個人的にはユニットでよかったと思うけどね。どうしてもソロがなくちゃいけないとか、そういうことはないと思っていて。やりたい事がある人は、それはやった方がいいと思うけど、みんなで話していて「今ソロで見せるより、ユニットで見せる方が新鮮で面白いことができるんじゃないかな」って。それで今回はこういう形になったってことかな。

二宮:
こうしてユニットでやるのって久しぶりだよね。やって良かったんじゃないかな。俺はそう思ってるけどね。ソロって絶対やらなきゃいけないってものではないし「ユニットでやってみるのもいいんじゃない?」って、今回みんなで話して。ウチは5人だから、その組み分けも「もしどうしてもソロをやりたい人がいたら、ソロ、2人曲、2人曲(の合計3曲)でいくのか?」とか、「2人の組み合わせ×5曲がいいのか?」とか、もちろん考えたし。そんな中で、制作陣が“2人ユニットで2曲、3人ユニットで2曲”っていう形を選んでくれたんだよね。やっぱり、コンサート中の着替えとかステージ移動のことを考えると、5人で歌わないそういう曲っていうのは必要になってくるから。いい形に着地したんじゃないかなって思いますね。

 松本:
今回、ソロでなくユニット曲をやってるんだけど…そもそも、なんでこの形になったか?っていうと、これまでアルバムにソロ曲ってコンスタントにあったものだけど、特に近年はソロでいろんな事をやり尽くしてきたこともあって、今回は1人でやる必要性を感じないってメンバーもいたのね。であれば、無理に入れることもないし、じゃあ、別の形にしようって…。まぁ変な話、ライブで考えると、ソロがないっていうのは着替えとか移動とか実質的な構成を考えると、結構大変なんだけど(苦笑)。でもそれは、今回に関してはこういうタイトルでやってるし、違う見え方になるようにやるっていうのも1つあるんじゃない?ってことで、じゃあ、ユニットやってみますか!と。ただ、全組み合わせをやるわけにはいかないから、制作側からユニット案を提案してもらって。だから、今回の組み合わせは、自分たちが「この人とやりたい」っていうよりも、制作陣が聴きたかった、見たかった人選だったってことですね(笑)。

 相葉:
今回ソロはないけど、ユニットでやってるからね。ソロって、別に…毎年絶対やりたい、やらなくてはいけない、っていうわけではないし。今回も最初に制作チームと皆で「ソロって絶対あった方がいいのかな?」っていう、その意思の疎通はとった上で決めてるからね。僕個人としても、ある程度ソロでやり尽くした感があって…特に前回の『Are You Happy?』の時は、ソロだけじゃなくて、ディレクション(メンバーによる監修)曲もあったじゃない?結構いろんなやりたい事を詰め込んで、ごちゃまぜのカオス状態だったから(苦笑)。正直、「次、どうしようかなぁ?」って思っていたところだったんだよね。だから、今回ユニットになって「その方がアイデアが膨らむかもな」っていうのは思ったかな。だから、俺的にはちょうど良かったって感じはあったね。ソロだけにこだわるんじゃなくて、そういうものも選択肢にあっていいと思うし。いろんな可能性を作っていきたいっていう意味でも、良かったんじゃないかなって。

 

以上が、嵐がパンフレット個人ページでそれぞれ語っている『ソロ曲』について。
櫻井くんだけはソロ曲について触れていないのだけど、他の話についても別媒体での既出話と被る部分が多く、そのせいで端折ったのかもしれない。
なので、櫻井くんの『ソロ曲』についての言葉は、補足的にこちらを。

 

日経エンタテインメント!2017年11月号
(ユニット曲は他のグループでも人気のコンテンツだ。嵐はこれまでなぜ、音源化しなかったのか。)
櫻井:やる必要がなかったから…かな。組み合わせのバリエーションが限られてる5人という人数であることと、それぞれのファンの人が喜んでくれるソロ曲があればいいという理由からですね。それ以上は別に、必要なかった。
今回も、出発点は当然のように「ソロはどうする?」ってことだったんです。でもそこでまぁ“点検”じゃないけどーーーずーっとソロやってきたけど、今年やる?どうする?って洗い直した時に、「じゃあ久しぶりにソロやめてみる?」って話になり、「じゃあ代わりに何やる?」「ユニットやってみる?」ということに。ユニット曲をやりたいというよりも、1回ソロ曲を休んでみようということから出てきた案だから。

(今回の各ユニットの組み合わせは、スタッフからの提案ベースだという。)
櫻井:僕らは「絶対こいつと組みたい」「こいつとは組みたくない」があるグループじゃないからね(笑)。だからスタッフの案をそのまま受け入れました。

 


再び「untitled」パンフレットから、
talk about「夜の影」

松本 この3人で何をやるか?って話をした時に…そもそも、制作陣からは「3人にはダンス曲をやってほしい」っていうことがあったし、今回は大野ソロが見られないから(笑)。そういう意味でもぜひリーダーが振り付けをやってくれる曲があった方がいいんじゃないかなぁと思って。それで…オファーしたら、快諾してくれたんだよね(笑)。
二宮 やっぱり、先生の振り付け曲は見たいもんね!
大野 …うん(ちょっぴり不満げ)。
松本 だから、どういう曲にしようか?というより、リーダーが振り付けやすい曲がいいんじゃない?っていうところから曲選びが始まって。まぁ…それってどんな曲よ?って話なんだけど(笑)。
大野 そうだよ…「振り付けしやすい曲って、何!?」って思ったよ(笑)。
二宮 最終的に、3曲ぐらい候補がある中でね?
松本 そう。結果「これかな」ってサトシ・オーノが言った、この曲になりました。
大野 でも…まだ何も浮かんでないよ?これから、やってみないと分かんない。
松本 演出のイメージは、二宮さんが「こういうのはどう?」っていうのを提案してくれて。なので、この曲に関しては、二宮さんの演出と大野さんの振り付けに僕は乗っかっていこうと思ってます!大変だと思うけど、お願いしますね‼
二宮 いやいや。ここで、俺らが「大変です」とか言ったら…松本さんは、いつも全部を決めてくれているからね。
大野 そう、松潤は一番大変だから。
二宮 だから、せめてこの1曲ぐらいは…ね?それぐらいの手助けはしないと。
大野 助け合って、ね!
二宮 ね、みんなで嵐だから!(笑)とりあえず後はもう、大先生に振り付けが降りてくるのを待つだけですね!
大野: …うん。降りてくるのを待ちだね。
二宮 先生も待ってるからね(笑)。
松本 この3人が得意そうなダンスのイメージとか、あるの?
大野 いや、それもまだ見えてない。とにかく、まず自分が動かなきゃ分かんないから。3日間ぐらい、スタジオにこもりますよ。
二宮 あ、3日間でいいの?
大野 とりあえず、ね。
松本 逆に、3人でやりながら作っていくでもいいし。
二宮 うん、そういう方がいいなら言って。
大野 了解。頑張りますー!


ユニット曲については各人が個人ページでも話していて、大野くんいわく、今回彼が振り付け担当するのは「夜の影」1曲だけとの事。
そのユニット曲の振り付けや、ツアーレポから知れる大野くんソロダンス演出など無ければ、今回はソロ曲もなく一人だけコンビ曲もなく、多くの大野くんファンが本当にもっと寂しいことになっていたんだろうなぁ、とつくづく…。

だから、私は松本くんにはお礼を言いたいのです。ありがとう。

 

それにしても大野くん…、
例年よりも担当するツアー振り付けも少ないなんて、ほんと、何かお忙しいんでしょうかぁーーーっ??。。※。.:*:・'°☆


パンフレットでは、もう一ヶ所、ソロ曲について大野くんが触れているページがある。
キリがないので要約すれば、

 

今回ソロをやらない事も含め、嵐はまだ“進んで行く途中”の未完なグループで、たぶん同じ事をやっていても仕方がないし自分達でつまらなくも感じてしまうから、面白そうな事は取り敢えずやってみますか!って感じ。
一方で、これからも変わらず、今、目の前のことをちゃんとやって行くだけ、その結果が今で、今後も『そうしていく先に、自然と景色は広がっていくのかなって思う』

 

という事を、彼らしいもっと柔らかな物言いと表現で語られていた。
今回のアルバムについて大野くん本人から語られる言葉は、もう大体ここまでかな?

前記事にも綴ったように正直、感情の忙しい今秋ではあったけれど、彼の、そして彼らのこれからの進化を、取り敢えずわたしは期待を込めて見守りたいと思う。

まずは、「untitled」ツアーが嵐5人、スタッフ、ファン、皆さん全員が怪我なく無事に終われますように。
ツアーレポのお裾分けで楽しませていただきながら、セル映像化を待ちながら、同じ空の下からわたしは応援しています。

 

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嵐の向かう先、機織りお鶴( ´・∀・)は今どこに

櫻井くんが嵐についてスポークスマン的に語る日経エンタテインメントは毎回必ず購読している。
大野くんが掲載されていない他メンバーのみの露出雑誌を私が購読までするのはとても珍しい事だけど、これは特別だ。


今回に限らず彼が嵐の先行きを語る時よく思うのは、多分わたしが望むのとは違う方向を彼(“総意”の嵐も)は重視しているのだろうなという事。

だからって別にそれを悪い事だとは思わない。
何故なら、嵐が末長くあの世界に残る為には彼(同上)が進もうとする方向も選ぶ手段もまた、とても賢く必要な道の一つだと思うから。

ざっくり言うならば、私がボケーッと単純に望むような歌ダンスだけをとことん極めて魅せる道もあれば、キャスター業やそれが波及したかのような様々な社会性の高い彼および彼らの仕事が世間へもたらす訴求力もまた嵐の存続には必要には違いない。
サブカルチャーメインカルチャーに育ったからこそ私達が長く彼らを見ていられるのだろう事も重々承知だ。


Wink up 2008年11月号の知念くん
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嵐はみんな其々が得意分野でそれを成し遂げていると思うけれど、櫻井くんの方向性もまた、こういったジャニーズの嵐に対する偏見を見事打ち砕いて道を開いてくれているのは間違いない。




わたしは以前、大野くんと櫻井くんは別ベクトルでアントワネットみたいな人達だとツイッターで呟いた事がある。あの二人の考え方は時に、少し遠く寂しく感じるんだよ、庶民で常人の私の感覚としては。

大野くんの事はさておき、
2015年1月号の、やはり日経エンタテインメントでライブビューイングについて語る翔潤の微妙な発言の違いで特にそれを感じた。

松本くんが同じように嵐について語るロングインタビューも読んでみたい気がする。
最近のトーク番組でも、理想の家にダンスリハ室が欲しいと言う彼なら、嵐の展望をどんな言葉でどんな切り口で語るんだろう。 

彼は映像と文章から受ける印象にとても差異のある人だと思っている。
お顔の華やかさ、場を盛り上げようとする余り時に空回ってしまう事、その他諸々から映像では誤解されがちな所謂『圧』の強さが、文章だと削ぎ落とされ、ただ柔らかに頭に入ってくる事が多いことに、ある時ふと気付いた。
きっとこちらが彼の根っこなんだろうと思った。
嵐の冠番組などで場を盛り上げようとして大野くんがやる『キレキャラ』と、はにかみながら訥々と真摯に語る時の違いみたいなものかな。


さて、そんな大野くん。
未だロングランを続けている映画忍びの国の上映も全国的にはめっきり静かになって来て、いよいよ来年、忍忍(2月2日)の日にDVD&Blu-ray発売決定です( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
いや~めでたい!
ビジュアルコメンタリー付きで特典映像が合計5時間以上ですか。そんな豪華な物を諭吉さんを差し出さなくても売っていただけるんですと(涙)本当に楽しみ。
生きる糧をありがとう!


…なんですが、やっぱり、

大野くんったら大野くん?(・д・ = ・д・)

アナタは今どこで何をしているんでしょう?
『untitled』ツアーの準備中なのか、水面下で何かしらの秘密プロジェクトが進行中なのか、はたまた命の洗濯をしに大海原にでも出ていらっしゃるのか。



先ほど引退を発表した安室ちゃんについて、松本人志さんが言われたコメント。
mantan-web.jp

「本当にストイックな人なんじゃないかなと思うんですよ。アーティストというけどアスリートでしょう。このパフォーマンスがあと何年続けられるかなと思ったときに、自分で自分を許せなくなっていくのが嫌になったんじゃないのかなとは思うんですよ」


「ファンの人が“アムロス”みたいに言いますけど、本人にしたら、現役をやりながら、前ほどのパフォーマンスができてないことが本人にとっての一番のアムロスなんですよ。それが許せないんじゃないかなあ」


どこまでも大野くん脳な私の脳裏に浮かんだのは、やはり、他者との相対比較ではなく静かに己とだけ戦う大野くん。

と言うのも、他の大野くんファンとお話させていただいている中で、彼はもしかしたら『引退』準備をしているのではないか?なんてビックリ話もずっと前から出ていた事を思い出し。


ハワイで涙し、今さら辞めようと思っていた過去なんてものをわざわざ吐露した大野くん。
私はその心情を、彼が全て吹っ切れてあの世界に留まる決心と覚悟がついたからこそ出た、メンバーやファンに向けての『感謝』の言葉だと解釈していたから、どうにも腑に落ちない気持ちで伺っていたけれど、松ちゃんが語る安室ちゃんのような理由なら有り得るのかもしれないと、この記事を読んだときハッとした。
あくまでも可能性としての話だけど。


つまり、そういう事でした。

何をしでかすか分からない危うく自由な10歳児とストイックな責任感を持つ達観した70歳爺を同居させる人の背中が乱暴に、
( ´・∀・)<もうイヤじゃっ!
とヘンな押し方をされないといい。


セカムズ、忍びの国、と続けて新規さんがぐんぐん増えている肌感もあり喜ばしい事ではあるけれど、『蛇の道は蛇』という諺がやたら頭の中をチラチラしたりする時もある。


お互い、末永く幸せで明るいオタクライフを楽しめますように。

ソロ曲失踪でおたくがタイヘン

あんまり楽しくない話をまた長文でブログなんぞに残してもなぁ~なんて思ったりもしたのだけど、Twitterでちょこっと簡単にネガティブ呟くのも難しい今日この頃。

あちらもこちらも殺伐殺伐していて窮屈この上ない中、あんまり、忍忍!我慢を続けていると、
突如として屋敷中を徘徊し始め、「キチガイだわ…やっぱりおかしいんですわ…あのオバ……あの子…」とロッテンマイヤーさんが放送禁止用語をつぶやき始める絵ヅラが浮かんだので(何の話だ)、一旦ここに放出しようかなと。



今更だけど今更じゃない話。
はっきり言うと、私は今年の嵐アルバムからソロ曲が無くなる事には非常にガッカリした。

ユニット曲が入ると分かった段階ではまだソロ曲は別にあるだろうと楽観視していたものの、それから二週間後、
久々に大好きな演目のミュージカルを観てウキウキしながら帰宅しツイッターを開いた途端、ジャニーズwebの公式情報(曲目リスト)が目に入り、いい大人が床に転げて泣きそうになった。

その夜の夕飯は確か玉子焼きと白飯程度しか食卓に出せなかった記憶だけど、卓袱台ひっくり返すわけでもなく文句一つ言わず私を放置プレイしてくれた家族に感謝し、またモフモフのネコさん達を 羽交い締め 抱きしめて眠った。

その辺から暫くは、端的に言えば、ソロ希望派VS黙っとれ派で、同担他担問わず喧々囂々とツイッターが大荒れで、もう唖然呆然辟易。
何を言っても誰かしらの地雷を踏むようだし、面倒なので発売日までは基本的にはその件についてはお口チャックしようと私は決めた。……けど、ちょっと漏れた←


黙っとれ派の中には、自分も泣きたいほどガッカリしているけれど大野くんへの悪影響も考えて我慢しているのに、他者を貶めながらデリカシーのない暴言を喚き立てる一部の同担をどうにか鎮めたかった大野くんファンも居ただろうし、
ソロ希望派の中には、本当に誰も貶める事なくただただ悲しくてショックを誰かと分かち合いたかったり、神にもすがる思いでソロ曲の需要をどこぞの誰かに伝われとばかりに訴えたかった大野くんファンも居ただろう。

私はその両方の気持ちだった。
翌日、翌々日辺りには、もう決まったものは仕方がない、出されたものを楽しもうと立ち直りもしたけれど。
きっとみんなパニクって集団ヒステリー状態だった。



とにかく、極端なんだなぁ。
極論というのは、本当にぶっ刺したいターゲットより、その周りの圧倒的多数の中庸な存在の心を何より抉るもので。
自分にも心当たりは山ほどあるから、改めて自戒し反省した事でもありました。



「Miles~」っすね…誤字っております…


誰かの嫌いは誰かの好き、なんて言葉をツイッターではよく目にするしオタク同士が忘れちゃいけない品格保持の為の尤もな格言だと思うけれど、逆の価値観が全否定されて良いわけもなく。
単に「悲しい」「残念だ」という程度の他人のネガティブな気持ちまで頭ごなしに全否定して回るのもまた、狭量だし品格があるとは言えないんだろう。


昔の嵐アルバムにはソロ曲なんて無かったのに不満を言うなんておかしいという暴論も幾つも見かけたけれど、ソロ曲の喪失を嘆く大野くんファンでも、『How's it going?』(2003年)『いざッ、Now』(2004年)辺りのアルバムならソロ曲はなくても大好きな方は多いはず。


不満と言うものは小さな事が蓄積されて育つものでもあり。


振り返ってみれば、大野くんファンがこれだけソロソロと声高に叫び始めたのは、シングルだと『Monster』(2010年)の後辺りからジワジワと来て『FaceDown』(2012年)で堰が切れた感じ。アルバムだと『Beautiful World』(2011年)『Popcorn』(2012年)を経ての事だと記憶している。

そこら辺を他担さん方にまで解ってもらえるように詳しく説明する事は難しいけれど、ソロを望む大野くんファンになら少なからず解って貰えるのではないかな。


つまり、今の多くの大野くんファンのソロへの執着ぶりは様々な事の積み重ねゆえだと思っている。


だからこそ、そんなファンの気持ちはラジオや手紙等で充分に伝わっているだろう大野くんが、ナゼ、たった年一のソロ曲まで無くしてしまう選択に同意したのか、それが最初から私には一番ショックだったし疑問だし、彼自身の言葉でそこの考えを聞かせてもらえる機会を待っている。


先日、ある大野くんファンが、『歌』『ダンス』『ドラマ』『顔』何落ちですか?という投票をツイッターで募っていらして私も参加させていただいたのだけど、結果は総投票数3800票強46%歌落ちとの事でした。

これを他メンバーで行うとどうなるのか、選択肢のレパートリーも含めてとても興味深い。
要するに、他担さん方にとっての非常に大切な位置付けにある贔屓メンバーの無くてはならない唯一無二の何かが、多くの大野くんファンにとっては歌(ソロ曲)なわけですよね。気持ち的にね。


そんなこんなで、ソロを望む気持ちは私も同じだけど、ただ、そこに他者を貶めるような不用意な文言を付ければ余計な反感を買い、理解されずに、ソロを望むこと自体まで否定されるようになったとしても自明の理であり。


私自身が実のところ痛切に大野くんのソロ歌唱も望みながらも、一時は『ソロアルソロコン』というワードが呪詛のように聞こえアレルギー反応を覚えた時期もあった。
今はかなりマシにはなったけれど、だからこそソロを望まない大野くんファンや他担さんが、それらに拒否反応を示す気持ちも解らないわけではない。

でも、本当は解るなんて言ってはいけないんだろう。
贔屓メンバーが違えば、立場が違えば、解り合えない部分もあるのは当然で。
大野くんのソロを望む気持ちも、たとえば『クズ』呼ばわりしながら彼を好きだと語る他担さんから透けて見える違和感も、価値観が違えば解っては貰えないのかもしれない。

だからせめて、自分とは異なる、誰も下げてもいない他の価値観を頭ごなしに否定したり蔑むような事はしないでおきたいとは思うのです。


ファンについて鬱陶しく語ったついでに最後に一つ。

他に表現を思いつかず私もここまででも一部やってしまった自覚はあるのだけど、あちこちで見られる『主語』を大きくしてしまう傾向、本当は避けたいところです。

それが例えば現在のツイッターの殺伐殺伐を生む『極論』に走らせてしまう一因なのではないかとも思うから。

いち大野くんファンとしてはそこがとても刺さる事も多い。
だから、先日解散された先輩グループやファンを一括りのような物言いでバッシングし返す一部嵐ファンの言動もずっと複雑な思いで見ている。
ただでさえショック状態の現状に耐え静かに応援している彼らのファンの気持ちは如何ばかりかと思う。

何事も、ノイジーマイノリティの方が目立つもので、サイレントマジョリティは静かに静かに心を殺して行くのです。
先輩グループファンも他メンバーファンも、そして大野くんのファンだって。

本当はとてもナチュラルな事なのに。
いくら顔が見えないネット上でも、自分がされてイヤなことは他人にもしてはいけませんよ、という基本的な道徳を忘れず、想像力を忘れないようにしたいと、この偉そうで愚かな鳥頭は何度も思うわけであります。


とか言いながら、この長文の中にも不用意な部分があったらゴメンナサイ。

【ランダムに思い出のARASHI DISCOVERY】2016年7月8日(金) 母との想い出(涙が出そうなくらい幸せだったの)

ラジオメール
『私は幼い頃、もしも明日起きた時、親が消えていたらどうしよう、という不安を何故か常に抱えていました。
だから毎晩、「おやすみ」と一緒に、明日も絶対会うという約束の意味も込めて、「また明日ね」と付け加えていました。
今思うと自分の事ながら可愛い話だなと思います』

大野
「うん、確かに(笑)」

ラジオメール(続き)

『大野くんは古い記憶で印象に残っているものはありますか?』



大野コメント
 
言葉と言うかね、未だに忘れないのがね、よくたまに母ちゃんに言うんだよ。

ボクがね、多分、3~4年生の時かなぁ。アニメの店があって。ぼくドラゴンボール好きだったから~。

で、ドラゴンボールの、ノートとか、色々、母ちゃんが、買ってくれたのよ。その時ね、一番母ちゃんが大変な時期だったのは覚えてるの、色々あって。

でも、合間で、ボクをそういう、アニメの、ショップに連れて行ってくれて、その後、公園で、、かき氷を一緒に食べたのかな。母ちゃんと。



それが、どぉぉ~~もっっ、幸せで。アハハハハハハハハ(笑)

未だに思い出すわけ涙が出そうなくらい幸せだったのオレ。

それ覚えてんの。それを未だに言うんだよ。あん時覚えてる?オレすごい幸せだったよっつって。



全っ然、覚えてないからね、あの人。まぁ忙しかったからだと思うんだけど。

だから逆に、子供ながら、あんな忙しいのに、合間でそれをやってくれたっていうのがあるんだろうね。子供の時に。

それはね、忘れられないね。あ~、未だに。え~、まぁ皆さんもそういう想い出あると思う。忘れちゃダメだね、こういうのはね。はい。



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映画『忍びの国』感想 その3(※とってもネタバレあり)字幕上映を観た

 

 

※ラストのネタバレもあり※

 





地元映画館でもようやく始まった忍びの国字幕上映 を早速観てきた。

おたく力発揮なのか、無門の台詞に取り零しはなかったけれど、他にはポツポツと聞き取れていない箇所もあり、また新鮮な気持ちで鑑賞する事が出来た。
一回観た方にも十回観た方にも、字幕上映 は是非是非おすすめ!


一例を挙げれば、下山甲斐
終盤の本戦で、とっくに愛想を尽かされた息子にまで「わしを守れ!」と見苦しく叫んでいたこ十二家評定衆は、冒頭の下山砦で我が子を殺めるつもりの「川」の指令前にも周りの下忍たちに向かって同じように叫んでいたんだなとか。
クズ設定が最初から一貫している事が更に強調されて解った。

Twitterで呟いた、信雄を身を挺して守っていた鯉?兜の重臣はやはり豊前守殿(ぶぜんのかみどの)」と字幕が出ていた記憶。

そして、エンドロールの主題歌「つなぐ」にも歌詞が字幕で流れるのが素晴らしい。
やはり映画本編とリンクさせているタイトルや歌詞なだけに、一般の方にもそれが担う役割に気付いて貰えると嬉しいし、自分自身にも再度染みる。

 

 

忍びの国』パンフレットより、中村監督談


主題歌の歌詞がまさにそういうものになっていて、僕の言いたかったことを感じてくれたんだなと思い、感動しました。

 

 



字幕上映もそうだけど、何度も通う内に“気付き”が増えて行く。
何度観ても飽きない作品とはそういうものなんだろう。


今日、なんとなく改めて気付いて切なくなってしまったのは、無門が失ったものはお国だけではないという事だった。


価値観の違う集団の中で、ずっと一人孤独に絶望し続けていた平兵衛は、十二家評定衆の謀略を話してもまだ響かない様子の無門にも哀しく絶望する。
それゆえ起こる、最期の「川」なのだけど…。

 

忍びの国』パンフレットより、中村監督談


川のシーンを編集している時には、思わず胸にこみあげてくるものがありましたね。二人は戦わざるを得なくなっているけれど、もし仲間ならどれだけ最強なコンビだっただろう。二人が組んでいたら無敵だったろうな、と。

 

「わしは…人として、死ねる…」
あの対峙の中で、変わって行く無門の心に気付いたからこそ平兵衛は穏やかにそう、目を瞑る事が出来たのではないか。
彼が無門に「人」の魂をつないだのではないだろうか。
やっと同じ「人」の心を持った伊賀者と対峙し無言の交流を経て、長い間の孤独からも解放されたのかな。

だけども、無門がようやく「人」として目覚めた時、もう唯一のその理解者はこの世に居ない。
何故なら、彼自らの手でそれを葬り去ってしまったから。

「フッ…虎狼の族(ころうのやから)か…」

今度は無門が孤独の世界に独り取り残されることになった。


そんな事を考えながら映画館を出たら、夏の真っ青な空が広がっていて、なんだか涙ちょろり。

 

忍びの国』僕は平兵衛は、人であることに憧れた悲しい忍びとして演じたつもりです。

復讐の連鎖を止めたのは平兵衛ではないのです。

 

 

鈴木亮平さんが、映画公開後に彼のTwitter公式アカウントでこう呟かれていた。

人間らしい愛情深さがある人だからこそ復讐者となるんだろうに、実際に復讐に手を染めれば妄執の鬼となり人間らしさを失って行くという、復讐者の常。
亮平さんは、平兵衛は極端だと思うと何かの媒体で話されていたっけ。


弟を殺されて、伊賀者への復讐心に燃え国を裏切り下忍を斬りまくった平兵衛と、
唯一無二の最愛の人を殺されて、反撃する事なく静かに立ち去り、彼女とも夢みただろう未来に人の命をつなぐ無門

変わる連鎖の形。

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そんな最後の希望「ネズミ」
雑兵の扮装を脱ぎ捨てネズミを見た瞬間の無門はヘラヘラ笑っていて一瞬変わっていないのかと思わせる。
が、次の瞬間、無造作にネズミの手を繋いだ無門の顔はもう以前の無門ではない。

ここの自然な表情変化も何気に大野くん上手いなと思った所。

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そして、Twitterでも呟いたのだけど、やはり同じ場所だろうと思う。

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冒頭で「虎狼の族(ころうのやから)」伊賀者がワラワラと通って来た獣道のような場所を、最後は子供の手をつなぐ「人」になった伊賀者が歩き去って行くという、心憎い伏線回収。
本当に最後まで抜け目がない映画だ。

 



ついでに。

時折見かける、織田側を正義とし伊賀側を人でなしの悪として描き切ってしまう価値観の決め付けってどうなんだ?問題については、
個人的にはこう思うので、記録として一応ここにツイートを纏め置いておく事にする。

 

 

映画『忍びの国』感想 その2(※とってもネタバレあり)

※致命的ネタバレありまくり※


前記事、

映画『忍びの国』感想(※とってもネタバレあり) - ネコの尻尾を追いかけて

このネタバレ感想追記を少しだけ。

 

 


虎狼の族(ころうのやから)たちが価値を見ていた、城一つ建つにも値すると言われる名器「小茄子」と、
それはあくまで“手段”として、無門が本当に価値を見ていた「お国」が、終盤の平楽寺で壊され壊して同時に、この世から消え果てる。

己の心を守る為に自分を欺き続け、過酷過ぎる半生から目を反らし内省せず、人でなしでなくては生きられなかった、無門の呪いが完全に解けたのは、あの瞬間なのかもしれない。



無門は他の虎狼の族(ころうのやから)達とは、やはり少し違っていた。

本当ならお国が言ったようにあれだけ優秀な忍びなら、「羽柴某」かのように立派な侍にだってなれる、もっと金持ちにだってなれる素養だってあっただろうに、
彼はただ、時々忍び暮らしをして小銭を稼いで、あとはお国とのんびり平和に暮らして行ければ、それだけで「楽園」が得られる人で、本当ならでその「夢」は叶うはずだった。

 

あれだけハイスペックなのに、あの世界でのし上がる欲のない中の人(*´・∀・)にその辺、似ていると言えば似ている。



だけど、無門が「死んだ」と聞いて、お国もまた気付いてしまう。
大切な人を失ってみて初めて、また改めて、人としての「気付き」があったのは平兵衛無門ばかりではなかった。

無門がどれだけ自分を大切に想っていてくれたのか、自分がどれだけ彼を大切に想っていたのかを、お国が気付いてしまったばかりに、皮肉にも無門夢みた「楽園」は消えた。


「気付い」てしまった平兵衛お国は死んだ。
彼らは「人」として生きて来られたから。
「気付い」てしまった無門は生き残った。
これから、ようやく「人」として生きて死ぬために。

映画『忍びの国』感想(※とってもネタバレあり)

※ネタバレあり※
 
 満を持して漸く公開された、映画忍びの国
“満を持す”とは、弓をいっぱいに引きしぼって放つ瞬間を待つ、という意味を持つ、史記(李将軍列伝)由来の言葉。
そう、正に、大木をも真っ二つに割り裂く大膳(伊勢谷さん)の五人張りの弓の如くに、引いて引いて、そして、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンな、待望の大野智主演映画である。
たぶん多くの大野くんファンの、こんな役を見たかった!が盛り込まれた役な上に、
あれほど多才なスペックを持つ「芸能」「人」でありながら、何も出来ませ~ん!やってませ~ん!といった様相で忍んで忍んで忍びまくる大野くんの、実は秘めたる努力の姿勢やそれこそ身体能力を、スタッフ共演者メディアがぐいぃっっと引っ張り出してくれる機会ともなったわけなのだ。
世間さまはそんなこと気にしない?そんなのどーでも良いのである。
おたくにとっての祭じゃ祭じゃ~
 
 
さて、この映画。
どこかの媒体で制作サイドが「ポップな時代劇」と表現されていたが、個人的には初見から一貫し、何度観ても「ロックな時代劇」だなぁという感想。
反逆、自己矛盾、魂の叫びが登場人物達から終始ヒシヒシと放たれていて、尚且つそれをロックテイストな音楽がタイトル字幕が出た瞬間から後押ししているのだ。
「ポップ」さと言えば、要のシリアス部分をその陰影により一際印象深くさせるコミカルな演出パートや、それによる作品全体のテンポの良さ、そしてまるで舞い踊るかのように軽やかな無門のアクションシーン辺りがそうだろうか。
 

この映画の秀逸さは挙げればキリがないけれど、まず125分の尺の中に、原作のポイントが綺麗に抑えられ収まっている点、さすがは原作者による脚本
それを言う人物の差し替えはあっても、台詞も大切にそのまま取り入れられていたりする。
削られた登場人物達も映画では形を変えて登場しているが、信長を最後まで登場させなかったのは確かに大成功だったように思う。
監督の意向もあったようだけれど、上の方にいる姿の見えない“魔王”の存在感に納得。
(映画『忍びの国』に織田信長が登場しない“ある”理由) https://dot.asahi.com/dot/2017062900060.html
 

それから、主要な登場人物全員にドラマがあり、善悪どちらに見える立場にもキャラ立ちした魅力が満載で、すなわちがお芝居が素晴らしい。
談春さん演じる悪の華のような三太夫の迫力も素晴らしいし、十二家評定衆の真の人でなしぶりを体現しているような、でんでんさん演じる下山甲斐の不気味さも相当なもので流石のキャスティングである。
 
平兵衛の父である、この下山甲斐
昔、貴志祐介『黒い家』を読んだ時の背筋の寒さをちょっと思い出した。でんでんさんの飄々としたお芝居により映画では更にそれを感じさせる。
 
あと、今春の連続ドラマ『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』の最終回で、息子を政治の道具とし、「餌として提供しよう」「幸い僕には、息子が2人いるから、1人いなくなっても、どうにかなるよ」とニコやかに言い放ったサイコパスな総理。
同じ種類の人間ではないかなと。
大膳が予見した「虎狼の族(ころうのやから)は天下に散った」現代の姿があの輩達とも言える。
 
そう言えば、CRISISはアクション監督が『忍びの国』ではスタントマンを務めているという繋がりがある。但し、忍びの国は監督いわく、CGも使わずとも動ける役者達が揃ったため、98%が生演技でほぼノースタントとのこと
 

そして、映画を観た多くの方々が言われているように、一番の見所はやはり無門と平兵衛の接近戦での死闘アクション

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330手を覚え三日間かけて撮影されたという、泥臭いのに華麗な、あの凄まじいシーンだけにでも映画1本分の金を払える!と思う程に見応えがあるアクションなのだけど、
まさかアクションを見て、こちらまで涙や鼻水と死闘する日が来ようとは。。。

正に『魂』と『魂』のぶつかり合い、そして削り合い。
そのほとばしりが刃物の衝突が散らすあの火花のようにも見えて。スクリーンの中から伝わって来る彼らの感情の波に飲み込まれ続けた。
 
ヘラヘラ笑いながら金の為に眉一つ動かさず人を殺戮する殺人マシーンだった無門、中村監督いわくの当初の原作イメージ『爬虫類みたいに不気味』な無門が確かに、あの一騎討ちの始めには存在していた。

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それが平兵衛との死闘の中で徐々に徐々にその表情やオーラを、実に繊細に見事に変化させて行く。物言わないはずの目から哀しみが零れ落ち始める。
あれだけ動きながらそのお芝居をする余裕があるわけである。
おまけに、過ぎても観客には何がなんだか分からないから速度調節する必要もあったとは大野くん談。
 
彼がよくスタッフや共演者に評される中に、相手のお芝居の空気を読み即座に対応するライヴ芝居の上手さというものがある。
中村監督はそれを、反射神経もあるけれど脚本を読み込んでいないと出来ない事だと言われていた。
大野くんはどんな変化球を投げられても受けて面白くして返す、と言われた、死神くん共演者の松重豊さんのコメントも似たような意味ではないかと思う。
 
だから、彼の特に1対1の対峙芝居はいつでも凄いパワーを感じる。勿論、相手の役者さん達の技量もあってこそ成立する、呼応し引き出し合うお芝居。
魔王最終回鍵のかかった部屋最終回そして忍びの国、また新たに三つ目となる約10分間の宝物をいただいた。
 

※ここから先は更に原作も含んだネタバレを盛大にしまくります故、ご了承ください。
 
 
 
 

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無音の中に二人の息遣いだけが響き渡る戦いの末、「わしは…人として、死ねる」平兵衛がそう穏やかに微笑し、その心の鼓動を永遠に止めた時の、無門の表情が忘れられない。
平兵衛の亡骸に向かってポツリ可哀想なやつだ…」と呟いて去る無門はもう、お国と京に逃げようとした山道で“ネズミ”を他人事のように可哀想に」とへらへら笑っていた無門ではなかった。
そこから最後、お国可哀想に…」と言われ、その唯一の存在が腕の中から零れ落ちて行くのを、もう黙って受け止めるしかなかった無門の孤独な絶望へと繋がって行く。

あのシーンの無門の初めて取り乱した絶叫もまた、何度観ても胸をキリで突き刺されたように響き抉られる。
 

無門お国を抱き上げて人々の前から姿を消す間際に残した台詞
「わしは…なんという馬鹿者じゃ…、おのれらは、人間ではない」
は、冒頭の下山砦で無門に弟を殺された平兵衛が伊賀者に絶望して発した
「わしは…なんという馬鹿者じゃ…、今になってようやく気付くとは…、この者共、人間ではない」
この台詞とここに来てピタリ一致する。
 
平兵衛との死闘の後、平楽寺で無門により十二家評定衆の胸に打ち込まれた武器は無門の短刀ではなく平兵衛が遺したクナイだった。 

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「何かわかんねーが俺は滅茶苦茶腹が立ってんだよ」彼らに怒声を浴びせていたあの無門には平兵衛の魂が重なっていたのだろうか。
無門が上忍として生まれていたなら、その姿が或いは平兵衛だったのかもしれない。
誰にも愛されず孤独に育ったのに愛を知っている人だった。お国に一心に注ぐそんな人心を、本来隠しきれないほど潜在的には持って生まれた人だった。
 
 
原作『忍びの国』和田竜 著(新潮文庫)より抜粋
 
無門が絶えずへらへらと深刻さを避け、あらゆる物事に対して斜に構え、他人の不幸にさえも小馬鹿にしたように冷笑を向けるのは、自らの心を守るためにはそれが不可欠なことだったからだ。この男は自らの心を欺き続けていた。
この男が、もしも自らの半生を直視していたならば、とうの昔に狂い死にしていたことだろう。この男の半生は、直視するには余りに過酷であった。やがて一人前の忍びに成長し、「無門」という道具としての名を与えられたとき、この男は自らを韜晦していることにも気付かぬ男になり果てていた。
 
 
だから上忍の平兵衛が言う「銭より大切なものがあるのだ」にも、無門「わかってたまるか」と答える他なかった。
己の罪に目を向けず自覚せず、人でなしでなければ生きられなかった無門は、平行世界での分身のような平兵衛との対峙を経て、
唯一彼の前に立ちはだかる堅牢な門、すなわち弱みであったお国「可哀想に」の言葉で「可哀想」な自分を自覚し、人となった。
 
ゲルダの涙で心に突き刺さった鏡の欠片が溶けた雪の女王のカイ少年のよう。
 
己の無能さを自覚するだけの頭と余裕があった信雄の悲劇と、己の闇の自覚を避けていたからこそ生きて来られた無門は表裏であり、またセットのようにも見える。
 
そして、信雄もまた言うのだ。
伊賀に負け大勢の犠牲者を出し逃げ帰って来た城内で、
「わしは何と言う阿呆じゃ」と。
 
無門、平兵衛、信雄、立場が違う三人三様の、しかしながら同じ時代を生きた同じ「人間」たちの物語。
そう思えば、自分とは対称的に福々しく小綺麗な信雄の寝顔を見て、歳を尋ね「苦労が足らんのじゃないか」と言った無門が印象的に思い出される。
結局、平兵衛信雄のような身分の上の人達には、無門のような下人と比べればまだ、己の感情に素直になれるだけの『人間』として生きられる余裕があったという事なのかもしれない。
 

最初あれだけ信雄を馬鹿にしていた大膳はその後ずっと彼に仕え、後にやむ無く家康に仕えた直後、死因不明で亡くなっている。
下忍達に一斉に襲われ窮した際、「父上を越えなさるぞー!」と大きな鯉?の立物?を兜にあしらった家臣に身を挺して守られてもいた信雄
知念くんのお芝居が本当に上手くて可愛くてキャラが立っていただけに、とっくの故人の幸せを祈ってしまうくらいなのだけど。
うん、なんか良かった(笑)
 
その信雄に恨みを遺して亡くなった彼の妻、のモデル雪姫(千代御前)は、父や一族が討たれた三瀬の変の知らせを受け自害をはかったが、突如現れた白狐に救われ姿を消したという伝承もある一方、その後も信雄の正室として尊重はされ二人の子をもうけた記録も残っているそうで。
うん、こちらもなんか良かったね(笑)
 
 
日置大膳。友の左京亮を救うため瞬時に立ち上がりマッハで元の主君、北畠具教に刀をふるう場面から終始一貫、もう正統派にどこまでもどこまでもカッコ良かった。
伊勢谷さんの整った精悍なお顔を始めとしたルックスからしてベストキャスティング。
お国は、正直原作では無門がそこまで惚れるだけの説得力がいまいち感じられなかったのだけど、映画で石原さとみさんの美しさ、凛々しさが息を吹き込んだといった印象。
下山平兵衛鈴木亮平さんとは、なんと贅沢なことだろう。花子とアンからもうずっと好き。
 
そしてネズミ
彼もまたもう一人の無門である。
無門がずっと目を背け続けて来たもう一人の自分。

無門から手を繋ぐも可愛げなく突き放し、でも最後遠く小さくなりながら自分から手を「つなぐ」ネズミ
『父』から、人として生きられる名前は与えられただろうか。
子から孫へ、そして更にその孫へ、「つなぐ」のは虎狼の族(ころうのやから)の冷たい血ばかりではないという救いのある終わり方だったのでは。
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原作の終わり方は少し違うのだけど、未読の方は読み比べてみるのも楽しいかもしれない。

無門「本当は誰かに、何かに、すがりたかったんじゃないかな。すごく寂しかったんじゃないかな」と大野くんが雑誌で話していた。
それを見て改めてこれを思った。耕太などもまた。

 

と言えば、
無門はいわば大野くん主演舞台『アマツカゼ』(2008年)で哀しき宿命により人を斬りまくったで、もし忍びの国パート2があれば「弁は剣よりも強し」で刀を封印した舞台センゴクプー』(2003年)の風助になるのだという、プラスアクトでの大野くんの解釈は興味深かった。

 
 
最後に。
中村義洋監督、素晴らしい映画をありがとうございました。
 
まだまだ楽しんで映画館に通いますよ(^^♪
 
『映画「忍びの国」がロングランヒットとなり、老若男女大勢の方達に観てもらえますように』
以上、七夕の願いでした。