ネコの尻尾を追いかけて

大野くんと、まつわる諸々、ツイートまとめも

映画『忍びの国』感想 その3(※とってもネタバレあり)字幕上映を観た

 

 

※ラストのネタバレもあり※

 





地元映画館でもようやく始まった忍びの国字幕上映 を早速観てきた。

おたく力発揮なのか、無門の台詞に取り零しはなかったけれど、他にはポツポツと聞き取れていない箇所もあり、また新鮮な気持ちで鑑賞する事が出来た。
一回観た方にも十回観た方にも、字幕上映 は是非是非おすすめ!


一例を挙げれば、下山甲斐
終盤の本戦で、とっくに愛想を尽かされた息子にまで「わしを守れ!」と見苦しく叫んでいたこの十二家評定衆は、冒頭の下山砦で我が子を殺めるつもりの「川」の指令前にも周りの下忍たちに向かって同じように叫んでいたんだなとか。
クズ設定が最初から一貫している事が更に強調されて解った。

Twitterで呟いた、信雄を身を挺して守っていた鯉?兜の重臣はやはり豊前守殿(ぶぜんのかみどの)」と字幕が出ていた記憶。

そして、エンドロールの主題歌「つなぐ」にも歌詞が字幕で流れるのが素晴らしい。
やはり映画本編とリンクさせているタイトルや歌詞なだけに、一般の方にもそれが担う役割に気付いて貰えると嬉しいし、自分自身にも再度染みる。

 

 

忍びの国』パンフレットより、中村監督談


主題歌の歌詞がまさにそういうものになっていて、僕の言いたかったことを感じてくれたんだなと思い、感動しました。

 

 



字幕上映もそうだけど、何度も通う内に“気付き”が増えて行く。
何度観ても飽きない作品とはそういうものなんだろう。


今日、なんとなく改めて気付いて切なくなってしまったのは、無門が失ったものはお国だけではないという事だった。


価値観の違う集団の中で、ずっと一人孤独に絶望し続けていた平兵衛は、十二家評定衆の謀略を話してもまだ響かない様子の無門にも哀しく絶望する。
それゆえ起こる、最期の「川」なのだけど…。

 

忍びの国』パンフレットより、中村監督談


川のシーンを編集している時には、思わず胸にこみあげてくるものがありましたね。二人は戦わざるを得なくなっているけれど、もし仲間ならどれだけ最強なコンビだっただろう。二人が組んでいたら無敵だったろうな、と。

 

「わしは…人として、死ねる…」
あの対峙の中で、変わって行く無門の心に気付いたからこそ平兵衛は穏やかにそう、目を瞑る事が出来たのではないか。
彼が無門に「人」の魂をつないだのではないだろうか。
やっと同じ「人」の心を持った伊賀者と対峙し無言の交流を経て、長い間の孤独からも解放されたのかな。

だけども、無門がようやく「人」として目覚めた時、もう唯一のその理解者はこの世に居ない。
何故なら、彼自らの手でそれを葬り去ってしまったから。

「フッ…虎狼の族(ころうのやから)か…」

今度は無門が孤独の世界に独り取り残されることになった。


そんな事を考えながら映画館を出たら、夏の真っ青な空が広がっていて、なんだか涙ちょろり。

 

忍びの国』僕は平兵衛は、人であることに憧れた悲しい忍びとして演じたつもりです。

復讐の連鎖を止めたのは平兵衛ではないのです。

 

 

鈴木亮平さんが、映画公開後に彼のTwitter公式アカウントでこう呟かれていた。

人間らしい愛情深さがある人だからこそ復讐者となるんだろうに、実際に復讐に手を染めれば妄執の鬼となり人間らしさを失って行くという、復讐者の常。
亮平さんは、平兵衛は極端だと思うと何かの媒体で話されていたっけ。


弟を殺されて、伊賀者への復讐心に燃え国を裏切り下忍を斬りまくった平兵衛と、
唯一無二の最愛の人を殺されて、反撃する事なく静かに立ち去り、彼女とも夢みただろう未来に人の命をつなぐ無門

変わる連鎖の形。

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そんな最後の希望「ネズミ」
雑兵の扮装を脱ぎ捨てネズミを見た瞬間の無門はヘラヘラ笑っていて一瞬変わっていないのかと思わせる。
が、次の瞬間、無造作にネズミの手を繋いだ無門の顔はもう以前の無門ではない。

ここの自然な表情変化も何気に大野くん上手いなと思った所。

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そして、Twitterでも呟いたのだけど、やはり同じ場所だろうと思う。

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冒頭で「虎狼の族(ころうのやから)」伊賀者がワラワラと通って来た獣道のような場所を、最後は子供の手をつなぐ「人」になった伊賀者が歩き去って行くという、心憎い伏線回収。
本当に最後まで抜け目がない映画だ。

 



ついでに。

時折見かける、織田側を正義とし伊賀側を人でなしの悪として描き切ってしまう価値観の決め付けってどうなんだ?問題については、
個人的にはこう思うので、記録として一応ここにツイートを纏め置いておく事にする。

 

 

映画『忍びの国』感想 その2(※とってもネタバレあり)

※致命的ネタバレありまくり※


前記事、

映画『忍びの国』感想(※とってもネタバレあり) - ネコの尻尾を追いかけて

このネタバレ感想追記を少しだけ。

 

 


虎狼の族(ころうのやから)たちが価値を見ていた、城一つ建つにも値すると言われる名器「小茄子」と、
それはあくまで“手段”として、無門が本当に価値を見ていた「お国」が、終盤の平楽寺で壊され壊して同時に、この世から消え果てる。

己の心を守る為に自分を欺き続け、過酷過ぎる半生から目を反らし内省せず、人でなしでなくては生きられなかった、無門の呪いが完全に解けたのは、あの瞬間なのかもしれない。



無門は他の虎狼の族(ころうのやから)達とは、やはり少し違っていた。

本当ならお国が言ったようにあれだけ優秀な忍びなら、「羽柴某」かのように立派な侍にだってなれる、もっと金持ちにだってなれる素養だってあっただろうに、
彼はただ、時々忍び暮らしをして小銭を稼いで、あとはお国とのんびり平和に暮らして行ければ、それだけで「楽園」が得られる人で、本当ならでその「夢」は叶うはずだった。

 

あれだけハイスペックなのに、あの世界でのし上がる欲のない中の人(*´・∀・)にその辺、似ていると言えば似ている。



だけど、無門が「死んだ」と聞いて、お国もまた気付いてしまう。
大切な人を失ってみて初めて、また改めて、人としての「気付き」があったのは平兵衛無門ばかりではなかった。

無門がどれだけ自分を大切に想っていてくれたのか、自分がどれだけ彼を大切に想っていたのかを、お国が気付いてしまったばかりに、皮肉にも無門夢みた「楽園」は消えた。


「気付い」てしまった平兵衛お国は死んだ。
彼らは「人」として生きて来られたから。
「気付い」てしまった無門は生き残った。
これから、ようやく「人」として生きて死ぬために。

映画『忍びの国』感想(※とってもネタバレあり)

※ネタバレあり※
 
 満を持して漸く公開された、映画忍びの国
“満を持す”とは、弓をいっぱいに引きしぼって放つ瞬間を待つ、という意味を持つ、史記(李将軍列伝)由来の言葉。
そう、正に、大木をも真っ二つに割り裂く大膳(伊勢谷さん)の五人張りの弓の如くに、引いて引いて、そして、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンな、待望の大野智主演映画である。
たぶん多くの大野くんファンの、こんな役を見たかった!が盛り込まれた役な上に、
あれほど多才なスペックを持つ「芸能」「人」でありながら、何も出来ませ~ん!やってませ~ん!といった様相で忍んで忍んで忍びまくる大野くんの、実は秘めたる努力の姿勢やそれこそ身体能力を、スタッフ共演者メディアがぐいぃっっと引っ張り出してくれる機会ともなったわけなのだ。
世間さまはそんなこと気にしない?そんなのどーでも良いのである。
おたくにとっての祭じゃ祭じゃ~
 
 
さて、この映画。
どこかの媒体で制作サイドが「ポップな時代劇」と表現されていたが、個人的には初見から一貫し、何度観ても「ロックな時代劇」だなぁという感想。
反逆、自己矛盾、魂の叫びが登場人物達から終始ヒシヒシと放たれていて、尚且つそれをロックテイストな音楽がタイトル字幕が出た瞬間から後押ししているのだ。
「ポップ」さと言えば、要のシリアス部分をその陰影により一際印象深くさせるコミカルな演出パートや、それによる作品全体のテンポの良さ、そしてまるで舞い踊るかのように軽やかな無門のアクションシーン辺りがそうだろうか。
 

この映画の秀逸さは挙げればキリがないけれど、まず125分の尺の中に、原作のポイントが綺麗に抑えられ収まっている点、さすがは原作者による脚本
それを言う人物の差し替えはあっても、台詞も大切にそのまま取り入れられていたりする。
削られた登場人物達も映画では形を変えて登場しているが、信長を最後まで登場させなかったのは確かに大成功だったように思う。
監督の意向もあったようだけれど、上の方にいる姿の見えない“魔王”の存在感に納得。
(映画『忍びの国』に織田信長が登場しない“ある”理由) https://dot.asahi.com/dot/2017062900060.html
 

それから、主要な登場人物全員にドラマがあり、善悪どちらに見える立場にもキャラ立ちした魅力が満載で、すなわちがお芝居が素晴らしい。
談春さん演じる悪の華のような三太夫の迫力も素晴らしいし、十二家評定衆の真の人でなしぶりを体現しているような、でんでんさん演じる下山甲斐の不気味さも相当なもので流石のキャスティングである。
 
平兵衛の父である、この下山甲斐
昔、貴志祐介『黒い家』を読んだ時の背筋の寒さをちょっと思い出した。でんでんさんの飄々としたお芝居により映画では更にそれを感じさせる。
 
あと、今春の連続ドラマ『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』の最終回で、息子を政治の道具とし、「餌として提供しよう」「幸い僕には、息子が2人いるから、1人いなくなっても、どうにかなるよ」とニコやかに言い放ったサイコパスな総理。
同じ種類の人間ではないかなと。
大膳が予見した「虎狼の族(ころうのやから)は天下に散った」現代の姿があの輩達とも言える。
 
そう言えば、CRISISはアクション監督が『忍びの国』ではスタントマンを務めているという繋がりがある。但し、忍びの国は監督いわく、CGも使わずとも動ける役者達が揃ったため、98%が生演技でほぼノースタントとのこと
 

そして、映画を観た多くの方々が言われているように、一番の見所はやはり無門と平兵衛の接近戦での死闘アクション

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330手を覚え三日間かけて撮影されたという、泥臭いのに華麗な、あの凄まじいシーンだけにでも映画1本分の金を払える!と思う程に見応えがあるアクションなのだけど、
まさかアクションを見て、こちらまで涙や鼻水と死闘する日が来ようとは。。。

正に『魂』と『魂』のぶつかり合い、そして削り合い。
そのほとばしりが刃物の衝突が散らすあの火花のようにも見えて。スクリーンの中から伝わって来る彼らの感情の波に飲み込まれ続けた。
 
ヘラヘラ笑いながら金の為に眉一つ動かさず人を殺戮する殺人マシーンだった無門、中村監督いわくの当初の原作イメージ『爬虫類みたいに不気味』な無門が確かに、あの一騎討ちの始めには存在していた。

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それが平兵衛との死闘の中で徐々に徐々にその表情やオーラを、実に繊細に見事に変化させて行く。物言わないはずの目から哀しみが零れ落ち始める。
あれだけ動きながらそのお芝居をする余裕があるわけである。
おまけに、過ぎても観客には何がなんだか分からないから速度調節する必要もあったとは大野くん談。
 
彼がよくスタッフや共演者に評される中に、相手のお芝居の空気を読み即座に対応するライヴ芝居の上手さというものがある。
中村監督はそれを、反射神経もあるけれど脚本を読み込んでいないと出来ない事だと言われていた。
大野くんはどんな変化球を投げられても受けて面白くして返す、と言われた、死神くん共演者の松重豊さんのコメントも似たような意味ではないかと思う。
 
だから、彼の特に1対1の対峙芝居はいつでも凄いパワーを感じる。勿論、相手の役者さん達の技量もあってこそ成立する、呼応し引き出し合うお芝居。
魔王最終回鍵のかかった部屋最終回そして忍びの国、また新たに三つ目となる約10分間の宝物をいただいた。
 

※ここから先は更に原作も含んだネタバレを盛大にしまくります故、ご了承ください。
 
 
 
 

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無音の中に二人の息遣いだけが響き渡る戦いの末、「わしは…人として、死ねる」平兵衛がそう穏やかに微笑し、その心の鼓動を永遠に止めた時の、無門の表情が忘れられない。
平兵衛の亡骸に向かってポツリ可哀想なやつだ…」と呟いて去る無門はもう、お国と京に逃げようとした山道で“ネズミ”を他人事のように可哀想に」とへらへら笑っていた無門ではなかった。
そこから最後、お国可哀想に…」と言われ、その唯一の存在が腕の中から零れ落ちて行くのを、もう黙って受け止めるしかなかった無門の孤独な絶望へと繋がって行く。

あのシーンの無門の初めて取り乱した絶叫もまた、何度観ても胸をキリで突き刺されたように響き抉られる。
 

無門お国を抱き上げて人々の前から姿を消す間際に残した台詞
「わしは…なんという馬鹿者じゃ…、おのれらは、人間ではない」
は、冒頭の下山砦で無門に弟を殺された平兵衛が伊賀者に絶望して発した
「わしは…なんという馬鹿者じゃ…、今になってようやく気付くとは…、この者共、人間ではない」
この台詞とここに来てピタリ一致する。
 
平兵衛との死闘の後、平楽寺で無門により十二家評定衆の胸に打ち込まれた武器は無門の短刀ではなく平兵衛が遺したクナイだった。 

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「何かわかんねーが俺は滅茶苦茶腹が立ってんだよ」彼らに怒声を浴びせていたあの無門には平兵衛の魂が重なっていたのだろうか。
無門が上忍として生まれていたなら、その姿が或いは平兵衛だったのかもしれない。
誰にも愛されず孤独に育ったのに愛を知っている人だった。お国に一心に注ぐそんな人心を、本来隠しきれないほど潜在的には持って生まれた人だった。
 
 
原作『忍びの国』和田竜 著(新潮文庫)より抜粋
 
無門が絶えずへらへらと深刻さを避け、あらゆる物事に対して斜に構え、他人の不幸にさえも小馬鹿にしたように冷笑を向けるのは、自らの心を守るためにはそれが不可欠なことだったからだ。この男は自らの心を欺き続けていた。
この男が、もしも自らの半生を直視していたならば、とうの昔に狂い死にしていたことだろう。この男の半生は、直視するには余りに過酷であった。やがて一人前の忍びに成長し、「無門」という道具としての名を与えられたとき、この男は自らを韜晦していることにも気付かぬ男になり果てていた。
 
 
だから上忍の平兵衛が言う「銭より大切なものがあるのだ」にも、無門「わかってたまるか」と答える他なかった。
己の罪に目を向けず自覚せず、人でなしでなければ生きられなかった無門は、平行世界での分身のような平兵衛との対峙を経て、
唯一彼の前に立ちはだかる堅牢な門、すなわち弱みであったお国「可哀想に」の言葉で「可哀想」な自分を自覚し、人となった。
 
ゲルダの涙で心に突き刺さった鏡の欠片が溶けた雪の女王のカイ少年のよう。
 
己の無能さを自覚するだけの頭と余裕があった信雄の悲劇と、己の闇の自覚を避けていたからこそ生きて来られた無門は表裏であり、またセットのようにも見える。
 
そして、信雄もまた言うのだ。
伊賀に負け大勢の犠牲者を出し逃げ帰って来た城内で、
「わしは何と言う阿呆じゃ」と。
 
無門、平兵衛、信雄、立場が違う三人三様の、しかしながら同じ時代を生きた同じ「人間」たちの物語。
そう思えば、自分とは対称的に福々しく小綺麗な信雄の寝顔を見て、歳を尋ね「苦労が足らんのじゃないか」と言った無門が印象的に思い出される。
結局、平兵衛信雄のような身分の上の人達には、無門のような下人と比べればまだ、己の感情に素直になれるだけの『人間』として生きられる余裕があったという事なのかもしれない。
 

最初あれだけ信雄を馬鹿にしていた大膳はその後ずっと彼に仕え、後にやむ無く家康に仕えた直後、死因不明で亡くなっている。
下忍達に一斉に襲われ窮した際、「父上を越えなさるぞー!」と大きな鯉?の立物?を兜にあしらった家臣に身を挺して守られてもいた信雄
知念くんのお芝居が本当に上手くて可愛くてキャラが立っていただけに、とっくの故人の幸せを祈ってしまうくらいなのだけど。
うん、なんか良かった(笑)
 
その信雄に恨みを遺して亡くなった彼の妻、のモデル雪姫(千代御前)は、父や一族が討たれた三瀬の変の知らせを受け自害をはかったが、突如現れた白狐に救われ姿を消したという伝承もある一方、その後も信雄の正室として尊重はされ二人の子をもうけた記録も残っているそうで。
うん、こちらもなんか良かったね(笑)
 
 
日置大膳。友の左京亮を救うため瞬時に立ち上がりマッハで元の主君、北畠具教に刀をふるう場面から終始一貫、もう正統派にどこまでもどこまでもカッコ良かった。
伊勢谷さんの整った精悍なお顔を始めとしたルックスからしてベストキャスティング。
お国は、正直原作では無門がそこまで惚れるだけの説得力がいまいち感じられなかったのだけど、映画で石原さとみさんの美しさ、凛々しさが息を吹き込んだといった印象。
下山平兵衛鈴木亮平さんとは、なんと贅沢なことだろう。花子とアンからもうずっと好き。
 
そしてネズミ
彼もまたもう一人の無門である。
無門がずっと目を背け続けて来たもう一人の自分。

無門から手を繋ぐも可愛げなく突き放し、でも最後遠く小さくなりながら自分から手を「つなぐ」ネズミ
『父』から、人として生きられる名前は与えられただろうか。
子から孫へ、そして更にその孫へ、「つなぐ」のは虎狼の族(ころうのやから)の冷たい血ばかりではないという救いのある終わり方だったのでは。
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原作の終わり方は少し違うのだけど、未読の方は読み比べてみるのも楽しいかもしれない。

無門「本当は誰かに、何かに、すがりたかったんじゃないかな。すごく寂しかったんじゃないかな」と大野くんが雑誌で話していた。
それを見て改めてこれを思った。耕太などもまた。

 

と言えば、
無門はいわば大野くん主演舞台『アマツカゼ』(2008年)で哀しき宿命により人を斬りまくったで、もし忍びの国パート2があれば「弁は剣よりも強し」で刀を封印した舞台センゴクプー』(2003年)の風助になるのだという、プラスアクトでの大野くんの解釈は興味深かった。

 
 
最後に。
中村義洋監督、素晴らしい映画をありがとうございました。
 
まだまだ楽しんで映画館に通いますよ(^^♪
 
『映画「忍びの国」がロングランヒットとなり、老若男女大勢の方達に観てもらえますように』
以上、七夕の願いでした。

『鍵のかかった部屋』榎本演技と『魔王』について

 

Twitterでも呟いたのだけど、現在絶賛放送中の相葉くん主演ドラマ『貴族探偵』で面白い現象が起こっている。


勿論主演の相葉くんファンも熱心には違いないけれど、原作ファンの動向が余りにも異例で珍しく微笑ましい。
私は原作未読のため、リツイートされて来る原作ファンの、
「御前は人間的ではダメなのだ、相葉くんの演技で正解!」
という作品解説も交えた主演擁護をドラマと併せ、フムフムと興味深く楽しく拝読している。

前の『偏見』記事 ジャニーズにおける偏見そして炎上騒動 - rx_yziiwの日記 からの流れにもなるのだけど、例えばそれを相葉くんファンが主張しても、恐らくはただのジャニオタの盲目意見として一般にはまともには取り合って貰えない。
そんな意味でも原作ファンなど、作品精通者でありつつも映像化ドラマ作品や演者に対しては第三者的客観性も持つ一般視聴者という、最強で幸福な味方を今回得たわけだ。

他メンバーの芸事についてあれこれ語れる立場にはないので、相葉くんからは一旦離れるとして。




まぁ、そのように無機質な演技というのは難しい。下手すれば棒と思われがちだし、ながら見族には理解され難い。


そこで思い出すのは、大野くん主演鍵のかかった部屋榎本役。

あの役は多分彼が演じた映像作品の中でも最も細かい演技指導が監督から出されていた。
なるべく動くな、無表情に、目線さえ動かすべからず、など。まるでガラスの仮面『人形』役を彷彿とさせるかのようで。
しかも、その中で未だかつてない程の専門用語が盛り込まれた長い長い台詞も喋らなくてはいけない。そこでも「もっとぶっきら棒に喋って」と監督から指示が飛んだ。

だけど、そんな演技プランを私たちファンは雑誌やラジオから知っていても、一般視聴者は知るよしもない。
最終的にTVに映り、出されたものが全てなのだ。
そこで伝わらなければスタッフなり演者なりの力量不足だから言いわけ無用で諦める他ない。
たまにTwitter等でスタッフが後出し説明をして顰蹙を買っている様子を見かける事もある。

だから当初は、これは伝わらないかもしれない、せっかく魔王からの貯金(後述)で現在まで一般やメディアから頻繁に評されてきた『演技派』(私が言ったのではありませんよ!笑)の印象もこれでオシマイかもしれない。そう心配した。

ところが、よく見れば、表情筋はおろか眼球の動きまで制された、無表情のはずの榎本から心の機微、うっすらと微かな喜怒哀楽が絶妙に零れて見えるじゃあないですか。
それにはもちろん一般ドラマファンも気付いた。

なんだ、この人、すごいものを見てしまったなと、いや、本当に驚いた。

おまけに、眼球さえ動かすなと指示されれば、自らの意思では止める事も不可能なはずの生体反応で起こる反射的マバタキまで止めてみせるという人間離れした技を3話の将棋回10話の最終話で披露。
これには流石に当時ドラマファン含めて大野くんファンも、一体どうなってる!????と話題になった。人体の神秘!


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 ただ1つ、それでも滑舌だけが唯一如何とも擁護のしようもなく、よろしくはなく…。
「表情筋を制すれば口の筋肉も動かせず呂律も回らなくなるのは必然」というファンの一部擁護も見かけたが、前述の通り、出されたものが全てだと思うので。

そこで判断されるのみなので、大野くんのお芝居はまだ十分な伸びしろがある、これから精進も可能という事でこの先も楽しみだ、と私の中では納得した。
何より素晴らしく高度で器用な感情表現や身体能力の新たな引き出しを見せて貰えた事に感動しきりだった。
あのドラマで大野くんファンになった方の感性や観察眼に共感とお礼と拍手と握手をば。

 

 

【以下、榎本演技プランについての参考資料】

*TV LIFE 第22回 年間ドラマ大賞2012
主演男優賞大野智鍵のかかった部屋)インタビュー

(以下演技プラン部分のみ抜粋)
~略~ 演じた榎本径は、無表情だし、そんなに動かないし、話すときも抑揚をつけずに一定のトーンでしゃべり続けるっていう、僕の中では究極の役でした。例えば長ぜりふでも動きがあると覚えやすかったりするんですよ。でも榎本は動きがないから丸暗記するしかない。動きどころか眼球まで動かさないでって言われてたんです。『目、動かさないでね』って普通に言われて、またしても『ええっ!!』って(笑)。しかも僕がそうやって頑張ってる前で佐藤浩市さんと戸田恵梨香さんがイキイキとせりふを展開させてるわけですよ。キャラクターとはいえ、あの自由さはうらやましかったです。
(中略)
ずっと無表情だった榎本が最終回のラストシーンで悪い顔したのも印象的でした。僕の勘だと、あいつは盗んでますね(笑)。でもあの表情を演じるのは面白かったです。~略~


*ASIAN POPS MAGAZINE 第98号
相沢友子さん(脚本家)インタビュー

*これまでも異なる役柄を演じてこられて、その都度大野さんではない人に化けてきたと周りからも聞いていたので、自分に役を引きつけるのでも、役に寄り添っていくのでもなく、役に完璧に乗っかっていく、あまりいないタイプの役者さんなのだと思いました。

*(大野さん演じる榎本について)極力表情も動きも抑えてと言われている中で演じるのは、凄く難しいと思うんです。でもその動きなども含めて佇まいが魅力的というか、表情がなくても何も喋らなくても目で何かが伝わってくるというか、訴えるものがある…なんだか、とても寂しげなムードを持っていると思うんです。

 

 

最後に、前述の『魔王』について。
大野くんファンがあのドラマを殊更持ち上げる傾向に、同じ大野くんファン含め、煙たがる嵐ファンが居る事も理由も気持ちも知らないわけではない。
しかしあれは本当に稀有なドラマで。単なるキャラ萌えドラマには留まらない。

2008年本放送時のネット各界隈から、あとは私の知る限りでの再放送時のTwitter実況に至るまで、作品批判はあれど、皆無と言っていい程に著しく大野くんの演技に対しての批判が少ない作品だった。
そりゃあ最初は、あんな子供みたいな弁護士いるか!その他諸々(まぁ伏せますが)の批判は人並みにあった。
それがウソみたいなホントの話、回を重ねる内に見る見る減って行き見渡す限りの絶賛という現象は実に爽快で。
放送開始前に某爆弾を投下され途中で某核爆弾を投下され…、それでもドラマファンは見捨てなかった。スタッフ共々に熱かった。暑い、熱い夏だった。

だから、大野くんの演技はあれを見れば解って貰えると言うファンが多いのだろう。
榎本の演技を通には解るワビサビの銀閣と例えるなら、成瀬の演技は誰の目にも華やかな金閣寺といったところ(前にTwitterでも呟いた)。

勿論、怪物くんその他も見た目に騙されたら損をする、面白い演技の宝庫。

ダンスで鍛えた身体能力は演技にまで応用されている。生来のセンスを努力で固めたあらゆる頑強な基礎が、すべての芸事に通用する人だと思っている。
万華鏡のようにキラキラパラパラ次々と変化する、何者にでもなれる、同じ容姿の別人に会える、びっくり箱のように不思議な彼の繊細なお芝居がわたしは大好きだ。

ジャニーズにおける偏見そして炎上騒動

『ジャニオタ』

それは忍びに忍び、隠れキリシタンのように密かに生息する人々も多く観察できる集団。

自分を振り返ってみると、
まず最初は『好き』という気持ちに抗った。好きなわけがない、気のせい。そう暗示をかけようとした。
が、やむなく観念した後には、『ジャニオタ』という呼称に抗った。
が、ジャニーズ事務所所属タレントを好きなのだからジャニオタでは?と自問自答し、はいジャニオタです、と落ち着いた。
アイドル雑誌を買う事にも抗った。誰もいない売り場を確認してはササッとコソ泥のように立ち読みし逃げ去る日々。
が、そのうち疲れたので開き直り、いつの間にやら家の片隅には常時タワーが形成される運びとなった。
今でこそ別に誰に隠すでも敢えて喋るでもなく、嵐ファンの友人知人もおり有りのまま過ごしているが、いい歳した大人は当初心の中であれもこれもと抗った。

ナゼか?

やはり『ジャニーズ』『アイドル』に影のようにどこまでも付きまとう『偏見』の存在があったからだろう。


オタクでそうなのだから、多かれ少なかれジャニーズタレント本人達の受ける暴風は推して知るべし。



嵐で言うならば、
例えばまだ22歳の若かりし櫻井くんが、いざッ、Now Tour!!で歌ったソロ曲『Unti‐Unti(後の披露でAnti‐Antiに改題)』

「あ、嵐?あ、興味ないっすね」「ジャニーズでHip‐hopって言うのもねぇ」

アンチジャニーズの煽り台詞から始まる。そして、
「アイドルがどれ程か見せてやるよ!」「たかがアイドル風情がタイトル奪い取る」「最速で奪い取る」
リリック全体にアンチを煽り返す、隠す事もない反骨精神が散りばめられている。
当時の彼が経験した状況や心情が窺える。

端的に、『ペンの指す方向chapterⅢ』「Facking!ジャニーズくらい分かれよバカ野郎!!」などもまた。

そして、『Hip Pop Boogie』から『Hip Pop Boogie ChapterⅡ』までに見える成長と未来。

改めてリリックやその変化を見るといじらしくて涙が出そう。相当悔しかったんだろうなと。必死に走って来たんだろう。

 

他に、2011年にゲスト出演した『人生が変わる1分間の深いい話』での二宮くんの話。

(俳優として高い評価を得ている彼がMOREで語った言葉)
二宮「僕はドラマや映画に出演する時に、職業は“俳優”ではなく“アイドル”ですと答えています」
(その理由が『深イイ』


二宮「どんなオファーも“嵐の二宮和也”に来ていると認識しているから」
二宮「自分よりも芝居の上手い俳優さんは沢山います。ただ、1つの作品の中に俳優だけではなく、アイドルという別ジャンルの自分が出演する事で、それが作品を面白くするアクセントの1つになればと考えています。その為にもアイドルでいた方がいいし、そう在り続けたい」

ナレーション『映画やドラマを観た観客に「最近のアイドルはここまで出来るんだ」と思わせるのが目標だと言う』

二宮くんの場合はストレートな反骨精神とは少し違う柔軟さも感じるのだけど、やはりアイドルに向く偏見を意識しての考え方が折々に見られる気がする。




と、ここまで書いて、…はて?ここは誰について語るブログだったかなと。

つまり、なぜ突然こんな話を始めたかと言えば、そうです。先日の某芸人TさんのTwitter炎上騒動(前ふり長っ)
一応沈静化したようなので自らの気持ちの整理の為にも、今さら少し触れたい。

例の動画も後日のラジオも自分の視聴覚で確認済み。


1位になるほど投票してくれた子達の存在は勿論とても嬉しかった。が、それはさて置き今件は順位が問題だったのではない。
専業ボーカリスト達を差し置いての大野智1位が当たり前だろうと言いたいわけでは決してない。

彼らは知らなかった。

「大野くん一人の声を聞いた事がないもんな」
「大野くんが単品で歌ってる状況がまず分からないから」

もう一人の芸人Iさんが言われたこの言葉が何より私には突き刺さった。

知らないなら仕方がない……そ、そっか……あれだけ冠番組で共演経験がある芸能人でも知らないかぁー……。

他メンバー達の歌声も其々の良さがあり魅力的でそれはそれで本当に好きだし、大野くんの声のユニゾン調和能力の絶品さを再確認する度、彼を歌要員として嵐に投入した社長の、歌だけには留まらない所まで見ていただろう慧眼にもつくづく舌をまく。

それでも大野くんの歌声贔屓の大野くんファンとしては、
嵐の曲からメインボーカル成分、要するにソロパートが減少してしまった不安の中、歌番組に出演する度に、大野くん上手い上手いと言われている一般のTwitter反応など確認しては、
多分もう割と世間的には認知されているのだろうと、半ば無理やり自分を安心させようと努力していたここ数年だった。

そこに追い討ちをかける、Tさんの
「もっと学校とかで音楽聴くように言った方がいいなぁー」

そして直後の

「ジャニーズなら***上手いよ、メチャクチャ上手い、***めっちゃ上手い」

近年、ソロアルバムを発売しソロコンサートツアーを行いその映像も発売された、同じ事務所の他グループメンバーのお名前が比較上げのように出された。

ソロアルバム、ソロコンサート、せめて過去のその映像でもいいから発売して欲しい、
密かにそう願い続け事務所や大野くんに要望も出してきた私には、やはり内心羨ましく感じてしまう気持ちの否めない彼のお名前。
歌番組にソロ出演して歌う姿を見ながら、指をくわえて遥か彼方2009年の大野くんの姿を思い出していた。

歌の上手さに異論はないし、もちろん彼には何の罪もない。
今回お名前が出されて巻き込まれた事は、彼のファン含めて被害者以外の何者でもなかった。


ただただ三段階パンチを喰らい、倒れ、床にこびりついた濡れ落ち葉のような様相で、その夜ワタシはモフモフのネコ達を両手いっぱいに抱き締めて眠った。

どうも、思った以上の最大の地雷だったらしい。


ただでさえあるジャニーズアイドルへの偏見に加え、私の『推し』はこんな人。

 

まぁ相変わらず精一杯なんとか自分を納得させようと頑張り続けている(笑)

映画「忍びの国」(2017年7月1日公開!) 最強の忍び 無門もうこんな適役が他にあるだろうか(笑)


件の炎上に伴い、大野くんファンそして嵐ファン、果ては他グループのファンまで乱入しての、ジャニオタ達による大野くん歌うまアピール合戦がしばしTwitter上で繰り広げられた。
気持ちは分かるだけに、それは切ない光景だったし、攻撃的な物言いのものはともかくとして、彼を擁護してくれようとする気持ちは嬉しかった。

でも私は、今回の芸人さん達に大野くんの歌の上手さを知って欲しいとは特別思わない。
別に怒って不貞腐れているわけでも彼らの感性を見下しているわけでもない。
実際には、聞いた事がないと言うよりは耳に入っていてもチャンネルが違うのだろうなと思ったから。
チャンネルの違う人間に押し売りしたいとは全く思わないのだけど、本当に知らない人にはなるべく広く良さを知ってもらいたいと思うのはオタクの性サガと言うものでしょうか。

『推し』を通しての承認欲求?それもあるだろう。
でも私が何より気になるのは、そんなパブリックイメージがもたらす仕事への影響、オファー内容なのだろうなとよく思う。

知られなければ需要は生まれない。需要が生まれなければ供給もされない。そんな不安からの焦燥。



長くなり過ぎたので、一先ず終わろう。

続いて、お芝居について語りたい。

ここまで読んでくださった方ありがとうございます。

【ランダムに思い出のARASHI DISCOVERY】2017年1月19日 TRUE WEST演出家アリ・エデルソン(チョコミント)

おはようございます。嵐の大野智です。

今日の一言カモンッ!

『ある真実を教える事よりも、いつも真実を見出すにはどうしなければならないのかを教える事が問題なのだ』

これは18世紀の哲学者ジャン=ジャック・ルソーさんの言葉です。

例えば、子供や部下に質問されて直ぐ答えを導き出すのは簡単だけども、答えを導き出すための課程を考えるようにさせた方が、その人の考える力が養われるというものです。でも、その伝え方が、難しい。

 

いやぁ、まぁ、確かになぁ。ボクはどうだろね。でもね、どっちがいいんだろ。ボクは1回訊きたい。まず。1回、これはこうなる、って知った上で、じゃあ本当にそうなるのかと。実践じゃないけどね。体験、したい…体感したい。

でもね、なんかね、面白いのがね、昔ね、あのー、よく外国の演出家の方とかって「これ、どう、思う?」ってよく、よく質問された。でぇー、日本人特有の「わかりません」って。「わからない」っつって。そしたら、そこでも、外国の演出家の方は「いや、何でもいいから言ってみて」って。でも、それを聞きたいんだよ多分。

で、言うじゃん。別にそれに対して不正解とは言わない。「あーなるほどそういう考え方もあるのね、でもこれってのはこういう事でこういう事でもあるんだよ」それを聞いた上でね、色んな解釈をしてくれた事はありますね。

うん…だからまぁ一回その人の意見を聞きたいんだろうね。僕なんでもかんでも分かりませんって言ったから。へへ(笑)わかんないからっつって(笑)うん。

一回ねー腹立ってねー、すんごい聞いてくっから(笑)一回腹が立ってね。なんだっけな。じゃあこのオースティンって役はこのあと家に帰って何をしたと思う?って言われて。もうそんな質問ばっかだったわけよ。もう、こっちもさ。今だから言うよ。イライラして来るわけ。何回聞かせんだって。

「わかりません」「うん何か言ってみて」って言った瞬間、もうっ、もう、喉のここまで来た!一回言ってやろうと思った、うん、家で寿司でも食ってんじゃないですかぁ?って。んははははは(笑)外人だから寿司なんか食わねーだろっていう所をね(笑)家帰って握りでも食べたんじゃないですか!?って一回ね、喉の方のここまで来た。若いから許して、あの時、24歳だから。言わなくて良かったけどね、えーそういう時ありました。えぇ。

でも言ったよ俺言った。でも言った。俺ね、演出家がね、日本離れる時、食事会したんだ、みんなでスタッフさん交えてね。「オースティンは、はい、アイスに例えたら、何ですか?何だと思う?」って。「わかりません」「いや何か言って」で、言おうと思ったら「バニラだよね」って言われたの。で、何だよ、俺の中ではチョコミントだったよ!と思いながら。あはははは(笑)

それをね、食事会の時にね、思いっきり言ってやりましたよ。そしたら笑ってましたよ。えー(笑)へへへへ(笑)

でも面白かったけどね。タメになったこと山程ありますしね。だからそういうー、何でもいいから言うのも大事だなと思いましたよ。そうそう、要はその事について考えて欲しいって事だからね。うん、試行錯誤も面白いしね。うん、まぁ何でも、試すのはいいと思いますよ。えー、若い時はぁ(笑)何でもやれっ!

以上、大野智でしたっ。

 

 

栗原さん「はい、大野くんでした。途中から、かなり、ドライブがかかって大野くん今日饒舌でしたよね。言葉数多かったですもんね。これ、あれじゃないですか?今日もあの、ホテルの部屋まで押し掛けて、録音した、回じゃないですか?リラックスして、逆によく動いたっていう。…正解!?あははははは(笑)」

ラジオ終了に際し、嵐とソロアルバムの波風やそよ風のお話

「生まれ変わったら何になりたい?」
この質問に大野くんはよくこう答える。

「鳥」


そんな本来自由な彼がおよそ芸能人らしからぬ、人に注目されるのは恥ずかしいとか、スタッフさんに持ち上げられるのが怖いとか、「俺、“嵐”の中で、足引っ張ってないかなぁ」(Miss2010年5月号)
など葛藤しながらもあの世界に身を置き続けて来てくれたのは、
例えば

『嵐だから無責任になれない。仕事も頑張ろうって思える。メンバーやスタッフがいなかったら、きっと今頃ここにはいないよね。』(MORE2013年9月号)

『(自分にとって)かけがえのないもの。やっぱり宝物だね』(AERA2013年12月~2014年1月合併増大号)

と言うほどの存在『嵐』があるからだと私は思っている。

正直言って、流動的な自分のファンよりも、何を差し置いてもメンバー4人が在ってくれるからだと思っている。



大野くんがどれだけ嵐全員を理解し大切に想っているのかは、嵐アルバム『Are you Happy?』収録の彼の監修曲『Miles away』の、5色の美しいハーモニーがまた雄弁に語ってくれているのではないだろうか。
「重なるフレーズ」を聴きながら、自分の中にある嵐を表現できた達成感や嵐愛を感じて「泣きそうになる」のかなと思う。
ツアーパンフレットやTV誌でもそんな話をしていた。

私があの曲を聴いてまず浮かんだのは、FREESTYLEⅡ大阪会場のラストに展示されていた五色や『5』や余白で表現された大野くんの自画像。

「言葉よりも大切なものここにはあるから」
そう思った。

ドームで、Miles awayを歌うメンバー達に次々とスポットライトが当たっていく5つのタワーの端っこの暗がりで、それを聴きながらずっと静かに佇んでいた大野くんの姿を思い出す。



それほど嵐とグループでの活動を大切に想う大野くんが、自らの内なる情熱によりソロアルバムを出したいと望むような人でない事は、恐らくは多くの大野くんファンがギリギリと歯軋りしながらでも重々承知なのだ。

歯軋りしながら、でも、俺が俺がとズンズン前に出てこない彼が好きと来たものだから、我ながら精神が分裂しているのではないかとよく思う。
(因みにソロコンや舞台はまたやりたいと彼は過去に明言している)



だからこそ、大野くんの個人ラジオコーナーARASHI DISCOVERYディレクター青木氏による、彼への「ソロアルバムを作ってもらえませんか?」直接の懇願は、想い同じくしてきた大野くんファンにとっては青天の霹靂ともいえる一大事だった。

 

青木D大野智ソロアルバムを作って貰えませんか?」

大野くん「(笑)いやいやいやいや、それはねぇー僕が言う事じゃない」
青木D「ソロコンサートとかじゃなくて」
大野くん「アルバム?」
青木D「ソロアルバムでいい」
大野くん「えへへへへへ(笑)」
青木D「歌フェチなんです私」
大野くん「あ、そうなの?」
青木D「それが僕の願いです」
大野くん「それはちょっと、ジャニーズ事務所…さんと、…に、言って下さい(笑)」
青木D「わかりました」

 


無論、青木ディレクターご本人が本心から大野智の歌声に惚れ、望まれている事なのかもしれない。

しかし、氏は14年半の長きに渡り、番組に寄せられるその類いのメールや電話に込められたファンの想いも、まるでそれをかわすかのような大野くんの返答も、ずっと見て来られたであろう方である。

  • オフレコでも大野くんに頼める事をわざわざ最終回の放送に乗せてくださった。
  • 収録放送なのに、事務所もその部分を差し止めなかった。
  • それにより起こったTwitter等での『ソロアルバム』への反響やネットニュースの取り上げなど。
  • 大野くんの返答からして状況次第で彼が考慮する余地も十分にありそうだ。

 


それを望まない方にとっては、何を大袈裟な(笑)と思われるかもしれない。

しかし、私のような者には
肩を落としていた黄昏に希望の灯火が見えた気がしたのだ。




番組終了発表(3月16日/木)後の3月20日(月)『モニステ番外編podcast』で、
月曜~木曜日担当の番組DJ栗原氏が、青木ディレクターの言葉をリスナーに伝えてくれた。

 

「最後の1週間は、大野くんが最後にファンに直接語りかける数回にしてあげたいんですって。
言ってましたよね。
その時、あぁ、青木さんって本当にファンのこと考えてるんだなぁって思ったんですよね。
それをあっさり、いやいいよ一緒にやろうよ、と覆しちゃう大ちゃんの屈託のなさ(笑)」

(最後は大野くん曰くの「どんな時の僕も知っている筈、信用できる親友感覚」な青木さんと対談したい、と彼自身が望んだとの事)

 

 

そんな方だから余計に、番組最終回のラストのラストのソロアルバム希望の言葉は、青木ディレクターから大野くんファンへ送られたプレゼントのように私には思えた。

青木さん、ありがとうございます。

 



大野くんはファンや、例えば事務所など他人から強く請われれば応えたい人ではないかと思う。

個展は最初の2008年からファンの子が見たいと望んでくれるからという理由で開催された。
2015年に開催された2回目の個展は、被災地に向けて、嵐や“怪物くん”としてだけではなく自分からの発信が何かしたいと思った事が発端だと、作品集『FREESTYLEⅡ』で話しているが、やはり変わらずファンへの想いも話されていた。



大野くんは嵐十周年の頃から主に雑誌で、
こんなに恵まれていていいんだろうか、これだけ幸せを貰ってもう個人としての欲が無くなってしまった、あとは望んでくれる誰かの為に生きたい(大意)
そんな地蔵様みたいな事を頻繁に言い始めた。

最近でもMORE2016年5月号で、
『10周年を機に、「こんなに喜んで祝ってもらえるなら、ここにいよう」と腹を決めた』
『今は、誰かに求めてもらえるならやろう、そのために全力で楽しんでやろうって思ってる』
一方で、仕事以外は自分を大切に生きている、
特に絵は何を描くべきか葛藤した事もあったけれど、例え人に観てもらう機会があったとして、自分の描きたくないものを描いて誰が喜ぶんだろう少なくとも俺は喜ばない、と思うから自分の為に描きたいものを描く(要約)との発言も。


大野くんがどうしても嫌がる事なら仕方がないし無理強いは出来ない。
しかし、そんな彼だから今回の青木ディレクターの言葉と纏わる反響で心動かしてくれる可能性もあるのではないか?
たぶん多くのファンがそう期待し歓喜したのだと思う。少なくとも私はそうだった。




ところがTwitterを散歩していると、今回のソロアルバムの件については大野くんファンだけではなくあちこちで色んな意見が噴出、衝突している模様。




そこでまず1つ、ずっと根強く出回っている『嵐はソロCDデビューはしない約束になっている』説に触れたい。

多分これは、映画黄色い涙DVD特典映像収録の囲み会見における相葉くん&松本くんのただのおふざけ、冗談が誤解されて伝わっているのだと思われる。
百聞は一見にしかずなのだが、私はここに映像や音源をupする術を持たず、文字起こしではやはり誤解が生じそうなので断念。
DVDをお持ちの方は是非確認してみて頂きたい。
何年もソースを探したけれど他にそれらしきものが見つからなかった(もし他にご存知の方いらしたら教えて下さい)

2014年PERSONでは二宮くんが、
心配になるほど欲がなくデンと構えるリーダーが居てくれるからこそ嵐を離れてやりたい事も出来る(要約)

「でも、真面目な話、そういう人だからさ、ウチのリーダーは。だから、彼が何かやろう、自分で何かやりたいと重い腰を上げた時には、俺たち4人は全力でサポートするよ」
と話してもくれている。

はそんなグループ。


そしてもう1つ。

一部に在る、事務所に大野くんが蔑ろにされている説は、彼がそんな認められず愛されないタレントだとはとても思えないため、私の中では破綻する。
寧ろ公私混同なほど大事にされ性質も把握されている。だからこそ、彼に合わせた仕事量で望む仕事はやらせ嫌がる仕事はさせて来なかったという印象。
TVを買うお小遣いを貰うなど、孫か?息子か?というほど甘やかされ過ぎていて微笑ましくもありつつ、事務所ぉ~もっとスパルタでもええんやで?と、時に思わなくもない。

だからこそ、あとはもう大野くん次第だと思っている。
ファンは諦めずにジャニーズファミリークラブに要望ハガキや大野くんへのファンレターを送り続けるとして、
あとは勿論そんな義務などない事は承知の上で、偉い方かどなたか、ちょこっと彼の背中を押してくれたらなぁ、なんてただそっと願ったりするのです。


本当はとてもシンプルな、ファンの切なる悲願なだけの話なのだけど。
大野くんや事務所やJストームなど関係各所へシンプルに届けたいだけなのだけど。

人の考え方は様々で、あらゆる状況が絡み合って、色々と難しくて、私はTwitterという場所でソロアルバムというワードを口にしないでいた。
しかし、これからも私はそんな感じで変わらず、大野くんや彼が宝物だという嵐も愛でながら、ソロアルバム要望は粛々と送り続けて行こうと改めて思う。
ラジオ最後にそんな優しい希望を残してもらえたから。

 

 

It's time to say goodbye, but I think goodbyes are sad and I'd much rather say hello. Hello to a new adventure.

さよならをする時間だ
だけど、さよならは悲しいから、こんにちは、と言いたい
こんにちは、新たな冒険

(米国スポーツアナウンサー、Ernie Harwell氏の言葉)

ARASHI DISCOVERY終了発表日の『今日の一言』

 

 

いつかどこかで、ラジオ復活も心からお待ちしております。

「行ってらっしゃい!」が「おやすみなさい」になっても素敵ですね。