ネコの尻尾を追いかけて

大野くんと、まつわる諸々、ツイートまとめも

ソロ曲失踪でおたくがタイヘン

あんまり楽しくない話をまた長文でブログなんぞに残してもなぁ~なんて思ったりもしたのだけど、Twitterでちょこっと簡単にネガティブ呟くのも難しい今日この頃。

あちらもこちらも殺伐殺伐していて窮屈この上ない中、あんまり、忍忍!我慢を続けていると、
突如として屋敷中を徘徊し始め、「キチガイだわ…やっぱりおかしいんですわ…あのオバ……あの子…」とロッテンマイヤーさんが放送禁止用語をつぶやき始める絵ヅラが浮かんだので(何の話だ)、一旦ここに放出しようかなと。



今更だけど今更じゃない話。
はっきり言うと、私は今年の嵐アルバムからソロ曲が無くなる事には非常にガッカリした。

ユニット曲が入ると分かった段階ではまだソロ曲は別にあるだろうと楽観視していたものの、それから二週間後、
久々に大好きな演目のミュージカルを観てウキウキしながら帰宅しツイッターを開いた途端、ジャニーズwebの公式情報(曲目リスト)が目に入り、いい大人が床に転げて泣きそうになった。

その夜の夕飯は確か玉子焼きと白飯程度しか食卓に出せなかった記憶だけど、卓袱台ひっくり返すわけでもなく文句一つ言わず私を放置プレイしてくれた家族に感謝し、またモフモフのネコさん達を 羽交い締め 抱きしめて眠った。

その辺から暫くは、端的に言えば、ソロ希望派VS黙っとれ派で、同担他担問わず喧々囂々とツイッターが大荒れで、もう唖然呆然辟易。
何を言っても誰かしらの地雷を踏むようだし、面倒なので発売日までは基本的にはその件についてはお口チャックしようと私は決めた。……けど、ちょっと漏れた←


黙っとれ派の中には、自分も泣きたいほどガッカリしているけれど大野くんへの悪影響も考えて我慢しているのに、他者を貶めながらデリカシーのない暴言を喚き立てる一部の同担をどうにか鎮めたかった大野くんファンも居ただろうし、
ソロ希望派の中には、本当に誰も貶める事なくただただ悲しくてショックを誰かと分かち合いたかったり、神にもすがる思いでソロ曲の需要をどこぞの誰かに伝われとばかりに訴えたかった大野くんファンも居ただろう。

私はその両方の気持ちだった。
翌日、翌々日辺りには、もう決まったものは仕方がない、出されたものを楽しもうと立ち直りもしたけれど。
きっとみんなパニクって集団ヒステリー状態だった。



とにかく、極端なんだなぁ。
極論というのは、本当にぶっ刺したいターゲットより、その周りの圧倒的多数の中庸な存在の心を何より抉るもので。
自分にも心当たりは山ほどあるから、改めて自戒し反省した事でもありました。



「Miles~」っすね…誤字っております…


誰かの嫌いは誰かの好き、なんて言葉をツイッターではよく目にするしオタク同士が忘れちゃいけない品格保持の為の尤もな格言だと思うけれど、逆の価値観が全否定されて良いわけもなく。
単に「悲しい」「残念だ」という程度の他人のネガティブな気持ちまで頭ごなしに全否定して回るのもまた、狭量だし品格があるとは言えないんだろう。


昔の嵐アルバムにはソロ曲なんて無かったのに不満を言うなんておかしいという暴論も幾つも見かけたけれど、ソロ曲の喪失を嘆く大野くんファンでも、『How's it going?』(2003年)『いざッ、Now』(2004年)辺りのアルバムならソロ曲はなくても大好きな方は多いはず。


不満と言うものは小さな事が蓄積されて育つものでもあり。


振り返ってみれば、大野くんファンがこれだけソロソロと声高に叫び始めたのは、シングルだと『Monster』(2010年)の後辺りからジワジワと来て『FaceDown』(2012年)で堰が切れた感じ。アルバムだと『Beautiful World』(2011年)『Popcorn』(2012年)を経ての事だと記憶している。

そこら辺を他担さん方にまで解ってもらえるように詳しく説明する事は難しいけれど、ソロを望む大野くんファンになら少なからず解って貰えるのではないかな。


つまり、今の多くの大野くんファンのソロへの執着ぶりは様々な事の積み重ねゆえだと思っている。


だからこそ、そんなファンの気持ちはラジオや手紙等で充分に伝わっているだろう大野くんが、ナゼ、たった年一のソロ曲まで無くしてしまう選択に同意したのか、それが最初から私には一番ショックだったし疑問だし、彼自身の言葉でそこの考えを聞かせてもらえる機会を待っている。


先日、ある大野くんファンが、『歌』『ダンス』『ドラマ』『顔』何落ちですか?という投票をツイッターで募っていらして私も参加させていただいたのだけど、結果は総投票数3800票強46%歌落ちとの事でした。

これを他メンバーで行うとどうなるのか、選択肢のレパートリーも含めてとても興味深い。
要するに、他担さん方にとっての非常に大切な位置付けにある贔屓メンバーの無くてはならない唯一無二の何かが、多くの大野くんファンにとっては歌(ソロ曲)なわけですよね。気持ち的にね。


そんなこんなで、ソロを望む気持ちは私も同じだけど、ただ、そこに他者を貶めるような不用意な文言を付ければ余計な反感を買い、理解されずに、ソロを望むこと自体まで否定されるようになったとしても自明の理であり。


私自身が実のところ痛切に大野くんのソロ歌唱も望みながらも、一時は『ソロアルソロコン』というワードが呪詛のように聞こえアレルギー反応を覚えた時期もあった。
今はかなりマシにはなったけれど、だからこそソロを望まない大野くんファンや他担さんが、それらに拒否反応を示す気持ちも解らないわけではない。

でも、本当は解るなんて言ってはいけないんだろう。
贔屓メンバーが違えば、立場が違えば、解り合えない部分もあるのは当然で。
大野くんのソロを望む気持ちも、たとえば『クズ』呼ばわりしながら彼を好きだと語る他担さんから透けて見える違和感も、価値観が違えば解っては貰えないのかもしれない。

だからせめて、自分とは異なる、誰も下げてもいない他の価値観を頭ごなしに否定したり蔑むような事はしないでおきたいとは思うのです。


ファンについて鬱陶しく語ったついでに最後に一つ。

他に表現を思いつかず私もここまででも一部やってしまった自覚はあるのだけど、あちこちで見られる『主語』を大きくしてしまう傾向、本当は避けたいところです。

それが例えば現在のツイッターの殺伐殺伐を生む『極論』に走らせてしまう一因なのではないかとも思うから。

いち大野くんファンとしてはそこがとても刺さる事も多い。
だから、先日解散された先輩グループやファンを一括りのような物言いでバッシングし返す一部嵐ファンの言動もずっと複雑な思いで見ている。
ただでさえショック状態の現状に耐え静かに応援している彼らのファンの気持ちは如何ばかりかと思う。

何事も、ノイジーマイノリティの方が目立つもので、サイレントマジョリティは静かに静かに心を殺して行くのです。
先輩グループファンも他メンバーファンも、そして大野くんのファンだって。

本当はとてもナチュラルな事なのに。
いくら顔が見えないネット上でも、自分がされてイヤなことは他人にもしてはいけませんよ、という基本的な道徳を忘れず、想像力を忘れないようにしたいと、この偉そうで愚かな鳥頭は何度も思うわけであります。


とか言いながら、この長文の中にも不用意な部分があったらゴメンナサイ。